2016年5月から6月にかけてタケノコ採りに出かけた一行がクマに襲われた「十和利山クマ襲撃事件」。4人が死亡し、4人が重軽傷を負うなど、本州で発生した事件としては記録上最悪といっても過言ではない大きな被害をもたらした。なぜクマはこのような凶行に及んでしまったのか。さまざまな要因が重なるものの、なかでも大きな原因として考えられているのは“空腹からくる強い食害意欲”によるものだ。
しかし、熊が満腹状態である場合も、決して安全だと言い切ることはできない。空腹でなかったにもかかわらず、人を襲い、喰らった事件が記録に残されているのだ。その事件こそ「戸沢村3人殺人事件」である。ここでは、日本ツキノワグマ研究所理事長を務める米田一彦氏による著書『熊が人を襲うとき』を引用。日本で起きたクマによるおぞましい食害事件を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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88年山形県戸沢村3人殺人事件
十和利山クマ襲撃事件が発生するまで、クマによる死亡事故で最も衝撃的だったのは、1988年に山形県戸沢村で3件連続した食害事件だ。
発生直後と近年の三度、私は現地入りして状況を聴取している。その後、遺体の詳細な資料も入手した。
88年5月25日、タケノコ採りの男性(61)が深夜に遺体で発見されたがクマが蟠踞(ばんきょ)しており収容は翌日となった。臀部から両下肢にかけて広範の挫裂創があり、失血死だった。
同年10月6日、クルミ採りの女性(59)が翌朝、遺体で発見された。右大胸筋、両大腿部、右上肢筋群に重大な損傷があった。第1事故地点から500mほど離れていた。
同年10月9日、家族5人がクリ拾い中、クマと遭遇。女性(61)が襲われた。夫がクマを追い払い被害者を収容したが、既に死亡していた。臀部から両下腿にかけて広範な挫裂創が見られた。
第1事故。頭頸部の傷の情報はなく、クマは初撃で被害者の背後から抱きつき、腰部を咬み続けたようだ。
第2事故。頭頸部の傷の情報はなく、クマの初撃で被害者は前方から大腿部に咬みつかれ身動きできなくなり、広範囲の傷から出血死したと思われる。現場周辺には多数の関係者が入り、騒然となった。
第3事故。被害者は各種報告書、証言から推測すると、ごく短時間で損傷を受けたようだ。第2事故現場からは5㎞離れていた。
現場が騒然となると、クマは移動して次の場所で人狩りを行うことは、十和利山クマ襲撃事件で熊取平から田代平へクマが移動したことと同じで、私が危惧した点だ。
戸沢村での第3犠牲者も頭頸部に傷の情報がなく、傷の分布から見て、初撃は背後から臀部に近い左大腿部に咬みつかれたようだ。
直後、第3事故現場近くで猟友会員の1人が山道を歩いていてクマに遭遇、1mの至近でクマが立ち上がり、銃を向けると、クマが横を向いて逃げようとしたが射殺した。過去に銃撃を受けた経験があるのではないか。