すでに報じられているとおり、安倍晋三首相はあさって9月28日召集の臨時国会の冒頭にも衆議院を解散し、総選挙を実施すると表明した。次の総選挙の結果は、安倍首相にとって内閣の存続を決める重要な意味を持つ。

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 その安倍首相の初めての内閣が任期を終えたのは、ちょうどいまから10年前の2007(平成19)年9月26日のことである。すでに同月23日の自民党総裁選では、福田康夫が後継総裁に選出されており、25日の安倍内閣総辞職および国会での首班指名を経て、福田内閣が発足する(福田内閣の認証式は翌26日に行なわれたので、政権移行はこの日ということになる)。

福田内閣発足 ©共同通信社

 第1次安倍内閣は、その前年の2006年、小泉純一郎内閣のあとを受けて発足。安倍は当時52歳と、戦後最年少での首相就任だった。在任中は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、教育基本法の改正、防衛庁の省への昇格、憲法改正の前提となる国民投票法の制定などを行なった。しかし、他方で、閣僚の「政治とカネ」の問題や失言、また社会保険庁の年金記録漏れの問題も浮上し、国民の支持は低下。07年7月の参院選で自民党は惨敗する。それでも安倍は続投を表明し、8月27日には内閣改造を行なった。9月9日には、期限切れが迫っていたテロ対策特別措置法にもとづく海上自衛隊のインド洋での給油活動について、その継続に「職を賭して取り組む」との決意を示す。だが、その矢先、9月12日になって突然、辞任を表明した。

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 安倍は9月12日の会見で、辞任の理由を、給油活動の継続にあたり「局面を転換するため」とだけ説明した。これについて“投げ出し”との批判も各方面から上がった。しかし、このあと、内閣総辞職の前日(24日)の記者会見では、「この1ヵ月、体調が悪化し続け、自らの意志を貫くための基礎となる体力に限界を感じた。もはや首相としての責任を全うし続けることはできない」と、辞任の最大の理由が健康問題であったことを明かす。このとき安倍は機能性胃腸障害のため、慶応大学病院に入院していた。

内閣総理大臣に就任した福田康夫(左)と、辞任した安倍晋三(右) ©文藝春秋

 その後、自民党は2009年の総選挙で惨敗し、政権を民主党に譲るも、2012年12月の総選挙では大勝、このとき再び自民党総裁となっていた安倍は首相へと返り咲く。第2次以降の安倍内閣は、きわめて安定した政権運営で、一時は「一強支配」とも呼ばれた。だが、ここへ来て、安倍肝煎りで入閣した稲田朋美防衛相(当時)の失言など、さまざまな問題への対処の仕方を見ていると、どうも最初の政権でのつまずきがオーバーラップする。今回の衆院解散の意向も、10年前の辞任表明と同様、いかにも唐突であったが、はたして今回の総選挙は、安倍にとって吉と出るのか、凶と出るのか?