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クラスメイトの前で本を読むことは、孤立することを意味していた

 当時、男子校に通う中学生だった私は、「すべての男は女を好きになるものだし、すべての女は男を好きになるもの」という偏見の壁を、その小説によって鮮やかに砕かれることとなった。

 読書は、脳が勝手に構築する偏見や、知らぬ間に摺り込まれていた「普通」の壁を、やさしく壊してくれる。そうでなくとも、退屈な現実から連れ出してくれるから、鬱屈とした通学路から逃れたいときには、鞄に本を忍ばせて家を出た。

 とはいえ、学生時代の私は、どちらかといえば文章よりも周りの空気を読むことに必死で、友人たちのおしゃべりに笑ってついていくことに、情熱を注いでいた。教室で話題となるものは大抵、昨夜のテレビ番組のことで、誰も村山由佳作品の魅力について語ろうとはしなかった。クラスメイトの前で本を読むことは、すなわち、孤立することを意味していた。そのまま、川端康成も、太宰治も、サリンジャーも、ドストエフスキーも読まずに、20代を過ごした。

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あの空白の20代を取り戻すように、物語を追いかける

 読書や映画鑑賞といった、誰とも繋がらない時間をようやく愛おしく思え始めたのは、30を目前に控えた頃だ。一般企業からウェブライターに転職し、仕事を通して出会う人の幅が広がった。その結果、自分の教養のなさや「表現力の低さ」を、痛烈に実感することが続いた。

 人との繋がりよりも、小説や映画の豊かな世界に再び惹かれていき、いよいよ風呂場に、本を持ち込むようになった。つい最近の話だ。

 今日も、あの空白の20代を取り戻すように、風呂場に文庫本を持ち込む。ページをしおしおにふやかしながら、物語を追いかける。そこまで夢中になれる作品を書いた先輩作家に、嫉妬している。

 そんな私が小説を書いたわけだから、表現力に乏しいと言われても、反論しようもない。

 さらに、その小説の内容は、最も読書をしていなかったであろうあの20代前半の自分の記憶を元に書いたのだから、皮肉が過ぎる。

 そのうち、レビューなんて気にせずに、自分の納得できる本を作れるだろうか。そのためにも読書は続けていくべきだと、あの匿名の読者に鼓舞された気がした。

(初出:オール讀物2020年11月号偏愛読書館「孤独が愛おしくなったのは」)

カツセマサヒコ 
1986年東京生まれ。ウェブライター、編集者として活動中。Twitterのフォロワー数は14万人以上。今年6月に自身初の小説『明け方の若者たち』を刊行し、大きな話題となった。

オール讀物2021年1月号

 

文藝春秋

2020年12月22日 発売