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「過去の自分まで呪うように、こだました」 初小説のAmazon低評価レビューの“衝撃”

偏愛読書館「孤独が愛おしくなったのは」より

note

 去る六月に、初めての小説を上梓した。書店に並ぶだけで満足だったはずなのに、今度は反響が気になり、ある夜、自著のAmazonのレビューをたまらず覗いてしまったことがある。

「表現力が低い。あまり本読んでなさそう。」

 低評価をつけたレビュータイトルが、眼球に襲いかかった。本文にも、いかに私の表現が稚拙であったか、鼻息荒く熱弁されていた。

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 顔も名前も見えぬところから、人格否定のような感想が投げられる。ネットの匿名性と暴力性は百も千も承知の上で、それでも直接的な反応を求めてしまうのは、ウェブライターという職業の癖だろうか。

 いちいちそんなものに気を取られるなと、先輩作家には教わるが、それでも先のレビューだけは、うまく飲み込めない。「あまり本読んでなさそう。」その指摘が、過去の自分まで呪うように遡って、こだましていた。

カツセマサヒコ

我が家にとって読書体験は「娯楽」だった

 幼少期から23歳になるまで過ごした実家の本棚は、高さの割に横幅がやけに細く、不安定な梯子のように、頼りない姿をしていた。すれ違うのも一苦労な狭い廊下に佇むその本棚には、宗田理の「ぼくら」シリーズや村山由佳の「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズがちょうど目に入る高さに並び、その上下には、宮部みゆき、有川浩、恩田陸、石田衣良、金城一紀、村上春樹、村上龍などが、数冊ずつ置かれていた。

 我が家にとって読書体験は「教育」というよりも「娯楽」の観点で捉えられていたように思う。その証拠に、「漫画ではなく本を読め」と言われたことは記憶のかぎり一度もないけれど、母の寝床には、いつも小説が置いてあった。そんなに面白いものかと私も好奇心をくすぐられ、小さな本棚に並ぶ小説たちを、自ら手に取るようになった。

『ぼくらの七日間戦争』や『GO』、『池袋ウエストゲートパーク』など、大人たちに抗うように生きる青春モノが、やけに多かった気がする。村山由佳が描く、ただ甘いだけではない恋愛作品にも、心を打たれた。異性と付き合ったことは一度もなく、退屈な日々を悶々と過ごす思春期の私にとって、小説世界はあまりに豊かで、美しかった。

※写真はイメージ ©iStock.com

 その棚の端に、藤野千夜の『少年と少女のポルカ』があったことを、今でも覚えている。男に片思いをしているが、そのこと自体には悩んでいないトシヒコや、睾丸を摘出し、男子校で唯一の女になったヤマダなど、心と体の不一致に違和感を持ちながらも、前向きに生きている主人公たちに衝撃を受けた。