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「とうとう一線を踏み越えた」ディストピア文学『日没』が画期的すぎる理由

鴻巣友季子が『日没』(桐野夏生 著)を読む

2020/12/20
『日没』(桐野夏生 著)岩波書店

 ディストピア小説『日没』を読んだわたしは、「とうとう一線を踏み越えた」という思いがこみあげ、身震いがした。

 ある日、「マッツ夢井」という女性小説家のもとに、〈総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会〉(略してブンリン)という政府機関から召喚状が届く。「ヘイトスピーチ法」と共に制定された「有害図書法」に則り、「不適切」な本を書いているという告発が読者から寄せられたのだ。マッツの小説は性倒錯的で、レイプを奨励しているという。彼女は「療養所」という名の矯正施設に収容され、がんじがらめの規則と、凄惨な罰則に従いながら、独自の更生プログラムに取り組むことになる。

 つまり、創作と表現を取り締まる管理社会が描かれている。それ自体は新しいことではない。本作の画期性と恐ろしさを伝えるには、ディストピア文学の歴史をざっと振り返る必要があるだろう。

 ディストピア文学はもともと(近)未来小説であり、一種のSFとして始まった。ヴェルヌの『二十世紀のパリ』を先駆けとし、産業とハイテクノロジーが緊密に結びついて未来生活をリアルに描くところに要諦があった。しかし一九八〇年代以降には、SF的ガジェットを搭載した未来観から離れていく流れができる。ときに寓話・神話的な造りを導入し、ゼロ年代以降は、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』のように、ハイテクは前面に出さず、いまのわたしたちの暮らしと変わらない生活が描かれるようになる。

 そうしてディストピア文学は、世界の右傾化や監視社会化とともにリアリズム小説に近づいていった。

 それが、『日没』に至って、ディストピア小説はリアリズム小説と完全に合体したのである。もはや作品舞台は、未来でも、架空の場所でも、パラレルワールドでもない。『日没』は、現実・現在の日本(本書の出版国)だとはっきりわかる設定をもつ初めての日本製ディストピア小説ではないのか。危機的な社会状況を前にして、「警告」ではなく、リアルなものとして描出するしかなくなったのだ。

『日没』の療養所は、事実上の監禁所だ。態度によって減点され、勾留期間が延びる。収容者同士が口をきけば「共謀罪」で刑務所送りとなる。職員による暴力、粗末な居室や食事、外界との連絡を遮断する監視生活。マッツは初め反抗するが、「課題」として書かされた「母のカレーライス」という作文を所長に褒められ、甘味飲料をふるまわれるうちに、心が揺らいでくる。しかしある場所から、心胆寒からしめる文書が見つかる。

 マッツは「退院」できるのか? 療養所がある海に囲まれた地形は、多くのディストピア(ユートピア)作品が島あるいは半島を舞台にしていることとも呼応しているだろう。伝統的王道を踏襲しながら、一線を突破する恐ろしい作品である。

きりのなつお/1951年、石川県生まれ。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞、99年『柔らかな頬』で直木賞受賞。98年に日本推理作家協会賞を受賞した『OUT』は米国エドガー賞の候補にもなった。他の著書に『グロテスク』『女神記』など。

こうのすゆきこ/1963年、東京都生まれ。翻訳家、文芸評論家。訳書に、ミッチェル『風と共に去りぬ』、アトウッド『誓願』など。

日没

桐野 夏生

岩波書店

2020年9月30日 発売

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