『誓願』(マーガレット・アトウッド 著/鴻巣友季子 訳)早川書房

 マーガレット・アトウッドは、ノーベル文学賞の有力候補と目されるカナダの女性作家だ。『誓願』は、一九八五年の『侍女の物語』の続編として書かれ、アトウッドにとって二度目のブッカー賞受賞作となった。

『侍女の物語』は、クーデターによってアメリカ合衆国に突如興ったキリスト教原理主義国ギレアデの物語だった。主人公は、自分の名前と、夫、娘を奪われ、生殖専門の「侍女」の身分に落とされたオブフレッド。二〇一七年にはHuluでドラマ化され、皮肉にもその色褪せない現代性から、世界的な大ヒットとなった。

『誓願』は『侍女の物語』から十五年後の物語だ。前作の主人公オブフレッドと縁が深い(と言ってしまってよいと思う)三人の女性がそれぞれの視点から語る形式をとっている。三者三様の語りを再現する、鴻巣友季子の見事な訳業にも注目して欲しい。

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 本作は複数の語り手を採用することで、ギレアデを内部と外部の両方から見ることが可能になった。語り手の一人であるデイジーはカナダに育った少女で、反ギレアデのデモに参加する。そこでは「邪悪な国偽隷悪手(ギレアデ)に住む女性たちに正義を!」といった言葉が掲げられる。この場面は、女性のヴェール問題などを梃にした、西洋世界のイスラム嫌悪を連想させる。アトウッドは、ギレアデを悪として描きつつも、自分たちのものでもある問題を、ギレアデという外部に仮託して済ませようとする人びとの振る舞いもここで告発しているのではないか。

 ギレアデの「侍女」は自分の名前を奪われ、所有者の男性の名前で「オブ~(~のもの)」と呼ばれる。これを私たちが非難するのはたやすいが、そのとき多くの女性が婚姻によって改姓を強いられ、男性の戸籍に登録されるこの国の現状は念頭にあるだろうか。この国で、女性を生殖のみに還元するかのような「生命(いのち)と女性の手帳」の配布が「少子化危機突破タスクフォース」によって検討されたのは二〇一三年、子どもを産む能力がない=生産性がないとして、LGBTへの支援を「度が過ぎる」と国会議員が書いたのは二〇一八年だった。語り手の一人であるアグネスやその友人のベッカは、大人から性暴力を受け、自らの女性としての身体を憎悪するようになるが、この種の性暴力の報道はこの国でも枚挙に暇がない。ギレアデは決して遠くにあるのではない。

『誓願』ではギレアデの崩壊が予告される。それは、外部からの啓蒙によってではなく、ギレアデを生きる女性たちの主体性によってもたらされる。語り手の一人であるリディア小母は、「ひとつの願い、可能性、夢幻」にすぎない「あなた」へ向けて、ひそやかに手稿を書き継いできた。それはアトウッドの創作の姿勢そのものでもある。本作を受け取った、女性でもあり男性でもある「あなた」はどう応えるだろうか。

Margaret Atwood/1939年、カナダ・オタワ生まれ。作家。87年『侍女の物語』でアーサー・C・クラーク賞、2000年『昏き目の暗殺者』でブッカー賞、17年フランツ・カフカ賞など受賞多数。19年に本書『誓願』で2度目のブッカー賞受賞。
 

むらかみかつなお/1978年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。著書に『動物の声、他者の声』。

誓願

マーガレット・アトウッド ,鴻巣友季子

早川書房

2020年10月1日 発売