古代ローマ時代、文化都市アレキサンドリアの工学者ヘロンは、蒸気の圧力によって動く様々な機械や仕掛けを生み出した。もしもこの時に蒸気による動力が奴隷の代替として用いられるようになっていたら、産業革命は何世紀も前に起こっていたかもしれず、「人新世」はもっと早くに始まっていたかもしれない。という仮想が本書を読み進めている間、何度も頭を過ぎった。
古代の人々の営みを知ることは、我々の生きる時代を俯瞰で見るのに効果的だ。かつて生産力至上主義をかかげていたカール・マルクスも、晩期になって自然科学研究に没頭し、権力関係も支配従属も発生させない古代ゲルマン人の脱成長型「マルク共同体」に希望的観測を見出していたという。古代ローマの博物学者である大プリニウスは、ミツバチの社会生活の中に人間が学ぶべき利他性や、地球の秩序を敬った生き方があると著書「博物誌」に記しているが、恐らくこの人の言葉も晩期のマルクスには格好の研究対象となり得ただろう。
いまや資本主義という経済システムが地球環境に及ぼしている影響は、温暖化による天候の変化といったあからさまな現象となって顕れている。パンデミックのロックダウンで経済の動きを止めてみれば、ヴェネチアの運河やガンディス川の水はたちまち透明になり、汚染が払われた大気の向こうに普段は見えないヒマラヤの山々を望めたという都市もあった。しかし、地球が本来の健康を取り戻すその傍らでは、職を失った人々が困窮によって生命存続の危機に逼迫され、結局アマゾンの森林を焼くことで、地球の健康を慮るよりも経済に還元できる農耕地を増やしてくれるリーダーに縋るようになる。
地球には本来、何がしかのダメージを被ってもそれをリペアする自然本来のレジリエンス(回復力)が備わっているという。しかし一定以上の負荷が掛かればその回復力は失われて、取り返しのつかない事態を招きかねない。そんな自覚を持って日々生きている人間が、この世にいったいどれだけいるのだろう。人類と、そして人類が生み出した経済という圧倒的な統治力が今や自然の支配者となり、地球を破滅の道へと導いているという認識はどこまで浸透しているのだろうか。
このままでは、人類の歴史は想像している以上に短い期間で終わってしまうだろう。絶望が人類の頭を蝕む前に、この本が現れたのは一つの救いかもしれない。
果たして今回のパンデミックの経験によって経済の容赦の無い性質と正面から向き合わされた私たちが、今後この地球でどう生きていくべきなのか、気の利いた方法を誰かが提示してくれるのを黙って待っている場合ではない。経済力が振るう無慈悲な暴力に泣き寝入りをせず、未来を逞しく生きる知恵と力を養いたいのであれば、本書は間違いなく力強い支えとなる。
さいとうこうへい/1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。権威ある「ドイッチャー記念賞」を受賞した『大洪水の前に』は世界5カ国で刊行。
やまざきまり/1967年、東京生まれ。漫画家・文筆家。東京造形大学客員教授。著書に『テルマエ・ロマエ』『ヴィオラ母さん』など。