これまでと何かが変わってしまうということに、すっかり慣れっこになった1年であった。それは年末年始の恒例行事でもそうだ。

 たとえば、初詣。大みそかから元旦にかけて、例年ならば電車が夜通し走って初詣先へと連れて行ってくれていた。ところが今年はそんなありがたき終夜運転がない。大みそかだろうがなんだろうが関係なく、いつもと同じように終電が終わったら電車は走らない。

 これまた毎年おなじみだった、初日の出を見に行ったり少し遠くの神社仏閣に向かうような初詣臨時列車の運行も、ほとんどの地域でなくなってしまったようだ。静かな年末年始を、というのだから仕方がない。

ADVERTISEMENT

1903年にはすでにあった終夜運転

 では、この年末年始おなじみの終夜運転、いったいいつから始まったのだろうか。

2013年1月1日、終夜運転する山手線 ©時事通信社

 大みそかの夜から初詣に繰り出す人はだいたい若い人たちばかり。だからなんとなく比較的最近、少なくとも戦後の高度経済成長期以降のことなのではないかな、と思っていた。

 ところが、調べてみると終夜運転の歴史はずっと長かった。たとえばまだまだ明治時代の1903年。東京電車(のちの都電)や乗合馬車などが大みそかから元旦にかけて、終夜運転を行っている。東京の中心部に限ったことではあるが、その頃から新年は町に繰り出して迎える人が多かったのだろう。

少しずつ早くなっていった年始の始発列車

 それ以前はどうかというと、1892年には新橋から川崎まで(現在の東海道線)が川崎大師参詣に合わせて早朝5時30分から臨時列車を走らせている。1888年は朝6時台が始発だから、おそらく年を追うごとに少しずつ早くなっていったのだろう。

 もう少し時代が下って現在の京急線にあたる京浜電気鉄道が開業すると、1918年には未明より、つまり終夜運転を行っていたようだ。

各地で夜通し運転されるようになった1930年代

成田山新勝寺 ©iStock.com

 現在のJR線にあたる国鉄の路線で終夜運転がはじまったのは少し遅れたが、それでも1930年代には夜通し列車を走らせている。1931年から1932年にかけては、山手線・京浜線(現在の京浜東北線)・中央線が終夜運転を行い、成田山新勝寺への初詣客を運ぶべく、両国駅や上野駅から成田への列車もほとんど夜通し運転されていた。