1ページ目から読む
3/4ページ目

「都合により中止することになった」1941年の暮れ

 いずれにしても、この初詣の終夜運転はすっかり年末年始の風物詩として定着する。昭和10年代にはいってぼちぼち戦争の足音が近づくようになってもそれは変わらず、日中戦争が始まった1937年以降も初詣のための終夜運転は続けられた。

 とはいえ、初詣のための終夜運転などは社会に“余裕”があるからできること。“アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり”の直後のお正月、1941年から1942年にかけては、ついに初詣のための終夜運転は中止になった。

1941年12月の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争。その年の暮れ、終夜運転は中止された

 当時の新聞には「都合により中止することになった」などと奥歯に物が挟まったような書き方をしているが、軍部からの指導もあっただろうし、初詣などと浮かれている場合ではないよ、ということなのだろう。

ADVERTISEMENT

“不要不急の初詣”の終夜運転など許されるはずもなかった

 それから戦争中は、もちろん初詣のための終夜運転は行われなかった。“初詣のため”という但し書きを抜けば、戦局悪化も進んだ1944年頃には郊外への疎開輸送のために終夜運転が行われた例はあったようだが、そもそも特別な許可を得なければ鉄道に乗ることもままならない時代、“不要不急の初詣”の終夜運転など許されるはずもなかったのである。

終夜運転が戻ってきたのは…

 1945年8月15日に戦争が終わっても、それに続く戦後の混乱期ではとうてい初詣に浮かれる余裕なし。初詣というと古来日本の伝統文化のような趣で(実際にはお正月の初詣が定着したのは、鉄道が開通した近代以降なのだが)、きっとGHQからも快くは見られなかったのだろう。

 ようやく、大みそかから元旦の風物詩たる終夜運転が戻ってきたのは、日本が主権回復を果たした直後の1952年の大みそか。国鉄や私鉄がともに12年ぶりとなる終夜運転を実施したのだ。

1967年初詣(神奈川・鎌倉市の鶴岡八幡宮) ©時事通信社

「もはや戦後ではない」という名言が経済白書に踊ったのは1956年だから、それよりも少し前。まだまだ人びとの暮らしに余裕が出ていたわけではなかっただろうが、お正月くらいは初詣と浮かれたい。そしてそんなお客を運ぶことこそ鉄道の本懐――。そんな思いがあったかなかったか、それはわからないが、12年ぶりに終夜運転は復活を果たした。