韓国で組み立てやパッケージ化していたことを利用
A氏が出入りしていた韓国クラブの男性が、韓国の大富豪の息子だったのだ。この運命的な出会いが大きな商売につながったという。
「当時たまごっちは中国の福建省で基板を作っていて、それを韓国で組み立てやパッケージ化して日本に送っていた。そこで僕は、韓国のたまごっちをパッケージ化する工場に口利きしてもらい、韓国に入ったたまごっちを数万個格安で買い取ることができたのです。韓国で1つ500円で買い取り、日本で5000円で売ったんです」(A氏)
韓国での買い付けは、いたってシンプル。韓国の高級住宅街にある大富豪の豪邸へ泊まり、夜は繁華街の梨泰院で遊ぶ。すると翌朝、大量のたまごっちが玄関に積まれているので、それを持って帰るだけ。日本では仕入れ値の10倍で売れるため、韓国との往復や諸経費を引いてもまさに"濡れ手に粟"状態だったという。
仕入れ金100万円が日本で1000万円の売り上げに
「1回の取引で韓国へ仕入れ金100万円持って行くと、それが日本で1000万円の売り上げになる。それが毎週です。荷物を大量に乗せるので、飛行機はファーストクラスを使っていました。大量に仕入れたたまごっちの卸し先で多かったのはパチンコ店。当時は、親がパチンコの景品で取ったたまごっちをもらった人も多かったんじゃないですか? 飛行機が成田に着くとパチンコ業者の人が現金を持って待っていて、成田空港の特別ルームで商品チェックや現金の受け渡しをしました。1番大きい取引はブームがピークだった1996年で、5000万円分のたまごっちを現金一括で売りました。それだけで4000万円以上の利益でした」(A氏)
「お客さんはパチンコ業界のほかに、暴力団の人も多かった。さすがに恐怖感があったので、取引の時はガードマンを雇っていました」
A氏がたまごっちの仕入れ先を持っているという噂は広まり、表からも裏からも顧客は続々と集まってきた。韓国から仕入れて捌いたたまごっちの数は、合計で約50万個、売り上げは20億円を超えたという。
「この時は本当に儲かって、豪勢な生活を送っていましたね。現金一括で2億5000万円のクルーザーを買って、車もベンツS600に乗ってました。当時は銀座で毎晩100万円以上つかっていた気がします。クラブのママへの誕生日プレゼントで、リボンをかけたベンツをプレゼントしたこともありました」(A氏)