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「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」

「着込むスーツ」から「18メートルのロボ」へ 企画初期から支えたアニメーターが語る「ガンダムのはじまり」

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 日本アニメ史に残る金字塔・伝説的な作品である『機動戦士ガンダム』。そのなかで、監督や演出の要望にあわせて原画を手がけるだけでなく、作画を統括する存在として作品のクオリティ全体に目を光らせる「アニメーションディレクター」として活躍したのが、安彦良和氏だった。

 安彦氏が30時間を超えるロングインタビューに応じた『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(安彦良和・石井誠)のなかから、名作が誕生するその瞬間について、抜粋して引用する。

安彦良和 マイ・バック・ページズ』(安彦良和・石井誠)

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『機動戦士ガンダム』の企画会議は1978年の夏から始まる。それも、何かイメージするものがあるわけはなく、企画としては本当に真っさらな状態からスタートしたという。

当初は取っ掛かりも何もなかった

安彦 日本サンライズのスタッフとして、フリーという立場だけどよく出入りしている奴だからということで、「何か企画はないのか?」と会議に集められたのが最初で。確か、8月頃の夏場ですごく暑い時期だったと記憶している。

 取っ掛かりに関しても、全然何もない状態。だから、企画部長の山浦栄二さんが人を集めて何か出せよと。当時日本サンライズが借りていた六畳くらいのアパートの1室に集まって、みんなで車座になって「何かないかなー」って言っているという、本当にそういう感じで。

 当時は、『宇宙海賊キャプテンハーロック』なんかで、松本零士さんも元気にやっていた頃で、「男のロマン」もやられちゃったし、SFもひと昔前みたいには売れないし。『テラホーク』にしたって毎日放送に、『サンダーバード』で当たったジェリー・アンダーソンの名前使って企画を出したんだけど足もと見られて。SFはあまり売れないってことも言われていた。

 そういうのって、一朝一夕で変わるから、ちょっと時期が変わると「SFはいらない」とか言い出したりして。ちょっと前には「SFないか」なんて言ってたのが。だから、すごく低調な会議だったのは間違いない。