いまから10年前のきょう、2007(平成19)年9月28日、世界最高峰の自動車レースであるフォーミュラワン(F1)世界選手権シリーズ第15戦日本グランプリ(GP)が、富士スピードウェイ(静岡県小山町)で開幕した。日本でのF1レースは、初開催となった1976(昭和51)年、続く翌77年と、同スピードウェイで行なわれた。ただし、その後10年の空白期間を経て87年にF1日本GPが再開されてからは、2006年まで鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)で開催されてきた。この間、富士スピードウェイは00年にトヨタ自動車が買収、大規模な改修工事を経て05年に再オープン、30年ぶりにF1日本GPを招致するにいたった。

 しかし久々の富士スピードウェイでの開催は、悪天候もあり、さまざまなトラブルに見舞われた。観客輸送について、あらかじめ会場周辺の混雑を見越して、すべての観客を最寄駅や駐車場からバスで会場入りさせる「チケット&ライド」方式を採用するも、渋滞を防ぐことはできなかった。さらに悪いことに、公式予選の行なわれた9月29日には、会場内の道路が雨のため陥没する。このためバスが動けず、約2万人の帰りの客が雨中、4時間以上取り残された。道路は同日中に復旧したものの、最終日の翌30日も、修復された陥没部分のチェックのためにバスの運行が遅れ、観客85人が決勝に間に合わなかった。

開幕初日の富士スピードウェイ ©共同通信社

 観客輸送の問題以外にも、第1コーナー寄りの常設席上に設けられた仮設スタンドの観客から「勾配がゆるすぎ、手前側を走る車が見えない」との苦情が殺到する。あいつぐトラブルに、富士スピードウェイ側は最終日に謝罪し、仮設スタンドの観客には入場料の一部、またバスの遅れで決勝に間に合わなかった観客に対しては入場料全額と宿泊費などを返金する措置をとった。

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優勝を飾ったルイス・ハミルトン ©共同通信社

 肝心のレースは、新人のルイス・ハミルトン(イギリス、マクラーレン・メルセデス)が優勝、07年シーズン4勝目を挙げた。ハミルトンは初の新人ドライバーによる年間優勝も期待されたが、結局2位にとどまる。彼が年間優勝を決めたのは翌08年だった。この年には前年に続き日本GPが富士スピードウェイで開催、前回の教訓が生かされ、大きなトラブルもなく無事に終わった。このあと09年の日本GPは鈴鹿サーキットで行なわれ、2010年以降は、富士スピードウェイと交互に開催が予定されていた。しかし、同スピードウェイでの開催は経営環境の悪化のため、残念ながら中止に追い込まれている。