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「もう肩は壊れていい」福岡と甲子園で味わった天国と地獄 松田遼馬の9年間

文春野球コラム ウィンターリーグ2021

2021/01/13

 その声は、こちらの悲嘆を飲み込むような明るい空気をまとっていた。「今年で野球やめます」。松田遼馬から着信があったのは、昨年12月中旬だった。「用件」には察しがついた。11月にソフトバンクから戦力外通告を受けた後、トライアウトを受験。まだ26歳で衰えなんてない。他球団が手を差し伸べてくれるだろうと思いながらも“朗報”を伝える記事を目にすることは最後までなかった。

 わざわざ電話してきてくれたのだから決意は固いだろう。いち記者の懇願で翻意するはずがないと分かっていながらも僕は「もったいない」「まだ絶対にできる」と引き留めた。それでも「もう悔いはないです。自分の中では区切りはつきました」と返されれば「本当にお疲れさま」と言うしかなかった。

厳しさと幸福が入り交じったソフトバンクでの2年半

 これがプロ野球選手・松田遼馬に対する最後の仕事。引退に至るまでの経緯をじっくりと聞いた。「悔いなし」は、18年途中にトレードで移籍したソフトバンクでの2年半を指した。ジャイアンツを完膚なきまでに叩きのめした昨年の日本シリーズが記憶に新しいように「最強」「常勝」を体現するチームでの経験は、厳しさと幸福が入り交じった。

「(ソフトバンクは)施設、練習の量とか挙げたらたくさんあるんですが、すべてが凄かった。もちろん、先輩たちも。自分がぼーっとしてない限りは成長できる、そういう環境でしたね」。阪神時代、言葉とイメージだけで知っていた「巨大戦力」は、リアルだった。1軍で主軸を張ったベテランの長谷川勇也が、2軍でも誰よりもバットを黙々と振り続け、後輩たちにも分け隔てなく助言を送る。めまぐるしく繰り広げられる競争と進化。そんな刺激的な空間だった。「一つの例ですけど、長谷川さんの考え方、教え方を隣で聞いてるだけで勉強になりました。だから2軍も強いんだなと」。当然、ファームにもとてつもない緊張感が漂う。3軍制を敷く中で、1軍を目指す前には2軍での生存競争を制する必要がある。移籍2年目には51試合に登板し日本一、歓喜のビールかけも経験。振り返ればキャリアハイの1年になった。

 ただ「(2軍の)そういう人たちに勝ってレギュラーをつかめば自信になる」とようやくつかんだ居場所も、次の瞬間に実体はなくなる。これが過去10年で7度の日本一に輝く集団の“生態系”。松田もそのサイクルに飲み込まれ昨年は一転、1軍での登板はゼロ。故障したわけでもなく、単純にライバルたちの力が上回り、自らが劣った。「なんで1軍に上がれないんだ、とかも全く思わなかった」。直後の戦力外通告も「ケガもなかったのに1軍に上がれなかった。自分の実力がなかった」と驚くほど素直に受け入れられた。最高峰のチームで競争にさらされて力を出し切った事実。トライアウトという最後の可能性もついえた今、引退の選択肢に迷いはなかった。