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《追悼》「背中に火がついてるぞ!」東京大空襲の夜、14歳の半藤一利は火の海を逃げまどった

“半藤少年”の「戦争体験」 #2

2021/01/13
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B29が爆弾を落とした跡を自転車で見に行った

 B29が実際に東京の空を飛ぶようになったのは、「男は奴隷、女は妾にされる」というそんな話を耳にするようになった後の11月から。アメリカという国は非常に詳しく調査をしますから、まず1機~2機が飛んできて、東京の写真を徹底的に撮影していくのです。それが毎日のように続いたのち、遂に白昼の大空襲が起きました。大編隊で多摩地区にあるゼロ戦を製造していた軍需工場を目標に、ボカボカと爆弾を落としていったのです。

 彼らは私たちの暮らしている町の方は素通りしていくのですが、ときおりB29の偵察機が写真を撮ったついでに、爆弾を1発か2発、思いついたように落としていきやがる。それがときどきとんでもないところへ落ち、「家が吹っ飛んだ」と聞いて、自転車を漕いで見に行ったこともありました。

 そして、昭和20年3月9日の真夜中、あの東京大空襲が起こるわけです。

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「おい、坊! 起きろ! 今晩はただことじゃないぞ」

 その日、23時過ぎに空襲警報が鳴ったとき、毎晩のような空襲警報に慣れっこになっていた私は、もはや図々しくなって寝ていました。

「もう勝手にしろ。そのたびに起こされたんじゃ、明日の工場で働けないじゃないか」

 というのが、そのときの不貞腐れたような気持ちでした。どうせいつものように町には来ないだろう、と。

 ところが、その日は親父が寝床に飛び込んできて、私の枕を蹴っ飛ばして言ったんです。

「おい、坊! 起きろ! 今晩はただことじゃないぞ」と。

 

焼夷弾が投下され、一面が火の海に

 飛び起きた私は、親父と二人で家の外に出ました。防空壕の上にあがって周囲を見てみると、深川のあたりはすでに炎と煙で真っ赤になっていました。その煙の中をB29がすごい低空で通り抜けていきます。そしてバラバラと焼夷弾を投下する。

 間もなくして、右手の浅草、神田の方面の上空に1機ずつB29が来ると、たちまち炎がボンボンと上がった。今度は左手の小松川でも同じように炎が上がり、隅田川と荒川に挟まれた地域の南と東と西の三方を取り囲むようにして火の海になりました。