川岸で猛火に襲われ、燃え上がる人々
その夜、私は火の海となった町を逃げまどいました。今年7月に出版した『焼けあとのちかい』という絵本の中の絵に描いてもらったように、周囲の光景はまさに火を浴びるようでした。ものすごく強い風が吹いていて、火の塊が飛んでくる。さらに黒い煙が渦を巻いてせまってくる。
「おい。背中に火がついてるぞ!」
と、言われて振り向くと、着ていた半纏が燃えていました。それで鉄兜も防空頭巾もともに脱ぎ捨てて逃げていくと、中川の岸では逃げ場を失った人々でごった返していました。川に落っこちた私は溺れそうになりましたが、どうにか浮かび上がって、ちょうどそこにいた船に助けられたのです。
寒くてガタガタ震えながら船上から見ていると、まさしく壁となった猛火と黒い煙が凄まじい勢いで迫ってきて、人々を覆っていきました。
「飛び込め! 飛び込め!」
と、船の上の人たちはずっと叫んでいました。しかし、子供を抱いている母親たちは飛び込めません。川岸にうずくまっているところに煙が襲い、息をつけなくなった人々は文字通りコロッと倒れていく。そして、そこに猛火がバアーッとかぶさる。その体がまるで炭俵が燃えるようにワーッと燃えていくのです。
地獄のような場所に立つと、人はまともな人間性を失ってしまう
ところが、何ということか、子供だったということもあるのかもしれませんが、私は自分が人間であることを忘れたみたいに、そのように人々が倒れ、燃えていく様子をただただ茫然と眺めているばかりでした。感情というものが湧いてこないのです。
いまでも、戦争というのは本当に恐ろしいものだと思うのは、このときのことを思い出すからです。地獄のような場所に立つと、人はまともな人間性を失ってしまうものなのです。人間が人間でなくなる、それこそが、戦争のいちばん恐ろしいところである、と私はこのときの体験から強く思うのです。
そして、私はもう二度と「絶対」という言葉を使わないぞ、とこのとき決意しました。なぜなら、戦争中はこの「絶対」という言葉で、様々なことが説明されていたからです。絶対に正義が勝つ、絶対に日本は正しい、神風が絶対に吹くと言われたように。しかし、そうした言葉がいかに空虚なものであったか――。空襲を生き延びて焼け跡に呆然と立ち尽くしていたとき、私の胸に生じたのはそんな思いだったのです。
撮影=志水隆/文藝春秋