30代半ばから小説はほぼ清張作品しか読んでいないというみうらじゅん氏。これまで独自の視点で数々のブームを巻き起こしてきた同氏から語られる“清張ワールド”の奥深き魅力とは?
ここでは、清張作品への偏愛が詰め込まれた『清張地獄八景』より、全国各地を飛び回る推理長編『不安な演奏』についての解説を引用。推理モノや社会派サスペンスではない、松本清張小説の魅力をみうらじゅん氏が解き明かす。
◇◇◇
「清張作品」と「不倫」の類似性
松本清張を深く味わうためには先ず、既婚者であることが条件だ。
そして、人生の中で何度も“それしか”考えられなくなった経験を持っていること。それが、より追い込まれた主人公(または犯人)の心境に近づくことになるのである。
“それしか”とは、それ以外のことが全く考えられない状況。この世の中で自分だけがそのことについて深く悩んでいると思い込んでいる時間の長さを指す。
既婚者でなければならない理由の一つに“不倫”がある。既婚者の場合、家庭外の恋愛は全て不倫。いくら愛し合ってると言い張っても不倫は不倫。いずれ地獄を見ることになる。幸せとは人間一人に対し、一つ。それ以上、持ってる者は世間的にズルイということになっている。「いや、家庭はちっとも幸せではない」と、主張しても結婚式の時、牧師がカタコトの日本語で“ソノ スコヤカナルトキモ、ヤメルトキモ、ヨロコビノトキモ、カナシミノトキモ、トメルトキモ、マズシイトキモ、コレヲアイシ、コレヲタスケ、ソノイノチアルカギリ、マゴコロヲツクスコトヲチカイマスカ?”と、聞いてきたではないか。それに対し「誓います」と、あなたは言った。牧師にではなく、牧師や参列者を通して神に誓ったわけだ。当然、神を裏切ると罰が下る。それは松本清張の小説の結末と同じ。「他にもっと悪い奴はいるじゃないか」と、あなたは小心者でちょっとした浮気心だと主張したいが許してはくれない。問題なのは日頃から気にしてる小心者である自分。ちっとも幸せじゃないという家庭であっても、それを壊したくない。出来れば“それしか”考えられない時が静かに通り過ぎ、いずれいつも通りの生活に戻るだろうと望んでいるところに“隙”が出来るのである。