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1990年からの大変化

 それが一変したのが、1990年の京王相模原線開通だ。多摩ニュータウンの開発にあわせてニュータウンアクセス路線として延伸された京王相模原線は、1970年代以降何度かの延伸を繰り返し、1990年についに終点の橋本駅まで到達した。そして1991年からは京王相模原線と都営新宿線との相互直通運転もはじまった(京王線そのものとの相互直通運転は1980年から)。知る人ぞ知る橋本は、乗り換えナシで都心に出られるようになったのだ。かくして、橋本はナゾの終着駅になったのである――。

 京王相模原線の橋本乗り入れの効果は大きく、橋本駅周辺は一層の発展をみることになる。JR東日本(つまり横浜線・相模線)の1日あたりの乗車人員は、1990年度には3万人に満たなかったところ、2019年度には6万5000人を上回っている。倍以上の増加だからその発展の凄まじさやいかばかりか、である。

いまも変わり続ける「橋本」

 開業以来、橋本駅の発展を支えてきた北口側も歩いてみよう。

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 京王相模原線の途中駅は1970年代以降のニュータウンだが、橋本駅にはそれ以前からの古い歴史がある。だからなのかどうなのか、ペデストリアンデッキを取り囲む真新しいビルの裏には、ちょっと歴史を感じる古びた雑居ビルが建ち並び、チェーンの居酒屋と地場の飲食店、やっているのかどうかもわからないようなスナックなどが入り混じって軒を連ねる。駐車場がやたらと目立つのはこうした郊外のターミナル駅前によくある特徴のひとつだ。

 

 

 
 

 道路も碁盤の目のように整備されているわけではなく、入り組んだ小さな路地も少なくない。整然と整備された新しい街も嫌いではないが、こうした“日本の郊外の駅前”が凝縮されたような雑多感、個人的には好きである。

 雑居ビルと駐車場の間を抜けて少し歩くと住宅地メインのゾーンへ。こちらも比較的新しそうなマンションと古い住宅が肩を並べていて、橋本が現在進行系で変化していることがよくわかる。リニアの橋本駅は、そうした橋本の歩みのいわば集大成なのだろう。

 

「橋本」は100年以上の古い歴史を持つ駅だった

 そんなわけで、ナゾの終着駅・橋本は想像以上に立派なターミナルであり、ちょっと魅惑的な街でもあった。リニアの橋本駅ができることは知っていたから、内心では「どうせリニア、リニアと浮かれているんでしょうね」などと思っていたがそんなことはまったくない。100年以上の古い歴史を持つ駅だけあって、しっかりと地に足ついた街なのだ。橋本、意外といいところだったなあ……。

 

 そう思って再び京王相模原線に乗って帰路についた。ちなみに、筆者は同じ京王線の府中に住んでいる。あとから調べてみると、橋本駅の1日あたりの乗降人員は約9万8000人(2019年度)。我が府中駅は約8万9000人だった。普通に負けているじゃないですか、ナゾ扱いをしてしまって、ほんとうにスミマセンでした……。

写真=鼠入昌史