少年隊の植草克秀(54)が新会社「2Steps」を設立したことを発表した。会社設立について「立ち止まっていても何もはじまらないので 一歩ずつでも前に進んでいけたらと思っています」などのコメントを日本語、英語、中国語で公式サイトにアップ。これまで以上に大きなフィールドでの活動を見据えているようだ。
昨年末、嵐の活動休止の陰で、錦織一清(55)と植草克秀がジャニーズ事務所を退所した。配信やグッズで売り上げ3000億円ともいわれる“嵐ロスビジネス”をよそに、コンサートも配信も行うことなく静かに幕を下ろしたのだ。
「退所する2人としては、ジャニーズ事務所に対して言いたいこともあったろうが、立つ鳥跡を濁さず。いままでには手越祐也(33)のように散々迷惑をかけて辞めたクセに、YouTubeでテレビに出られなくなった理由を『忖度(そんたく)がある』と語る元ジャニもいますが、ニッキとカッちゃんは、そんなことはしませんでした」(アイドル誌編集者)
錦織は「この年になって本当の意味のひとり暮らしをしたいという希望を伝えたところ、快く承諾していただけた」。植草も「酸いも甘いも経験した上で、来年1月よりピュアな気持ちで、新たなスタートラインに立ち、挑戦して行きたいという思いから卒業を決意致しました」とコメントを発表している。
「少年隊は自分の最高傑作」
少年隊は1981年に「Bチーム」という名前で錦織、植草、松原康行の3人で結成された。1982年に松原の代わりに東山紀之(54)が加入して少年隊となり、田原俊彦(59)や近藤真彦(56)のバックダンサーとして活動。そして満を持して、1985年12月12日に「仮面舞踏会」でデビューした。翌年のレコード大賞最優秀新人賞に輝き、紅白歌合戦では白組キャプテンの加山雄三が「仮面ライダー」と紹介したハプニングもおなじみだ。
「一昨年亡くなったジャニーさんは、デビュー前から少年隊をフジテレビの『夜のヒットスタジオ』に出演させたり、ロサンゼルスでレッスンを受けさせるなど、すごく力を入れていた。当時のジャニーさんはまだ50代で、少年隊は自分の最高傑作だと自信をみなぎらせていました」(音楽関係者)
少年隊もジャニー氏の期待に応えた。デビュー曲の「仮面舞踏会」から「デカメロン伝説」「ダイヤモンド・アイズ」「バラードのように眠れ」「stripe blue」「君だけに」「ABC」とヒットを連発した。だが、それも1989年6月発売の「まいったネ 今夜」までだった。