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「池田は、その間に、関係会社の名門・雅叙園観光ホテルの株を買い占めていました。結果、創業一族が日本ドリーム観光の経営権を取り、池田は、雅叙園観光ホテルの乗っ取りに成功して、会長に就任したのです。雅叙園観光ホテルが所有していたのは老朽化した建物だけで、資産は無く、創業一族にとっては必要ありませんでした。池田にとっては東証1部上場の看板があり、株価が上がれば金を生む。ホテル経営に興味は無く、金を生む道具だったのでしょう」(当時取材したジャーナリスト) 

 池田氏は持ち株を担保に借金し、東海興業などの中堅ゼネコン、プラント業タクマの株などを買い上げ、株価が上がればそれを担保にさらに資金を調達。十数社の上場企業に投資し、運用資産は1000億円を超えた一方、「(借金の)金利が一晩で1億円」(前出・側近の1人)と言われた。 

「集団で株を買い上げる仕手筋は、株価を上げたり、下げたり、様々な策を取りますが、池田さんはシンプルで、金がある分だけ買う。裏切って売り抜けた人の分も、全部買うんです。狙うのは、買い占めることができる、浮動株の少ない小型株で、“池田銘柄は下がらない”と言われるほどになりました」(前出・側近の1人) 

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ロールスロイスの革張りシートにボールペンで…

 自動車電話が付いた、ベージュの革張りシートのロールスロイスに乗っていた。 

「ある時、自動車電話で聞いた投資情報をメモして、書ききれなくなると、ボールペンで革張りシートに直接書き始めました。驚くと、『この情報が億の金になる。車なんてたかだか数千万円や』と言い放ちました」(同) 

©iStock.com  

ブラックマンデーで立ち行かなくなった

 しかし栄華は一瞬だった。 

 87年10月、世界中の株価が暴落するブラックマンデーが起きた。東京株式市場も過去最悪の暴落となり、池田氏が保有していた株は軒並み担保割れして、数多の債権者に追われる。 

 池田氏は起死回生を図り、株を買い上げていたタクマの乗っ取りを画策し、臨時株主総会の開催を要求。タクマ経営陣は、大手金融機関15社に時価の半値で新株を発行し、池田氏の持ち分を減らす方法で対抗、池田氏は立ち行かなくなった。   

 信用調査機関によれば、池田氏の債権者には、大手住宅販売会社創業者、関西の信組、名うての街金もいた。名前が出た債権者の他に、政治家から暴力団まで様々な人間が群がっていた。