政界で関係を追及された亀井静香
政界では、当時自民党の亀井静香氏(17年に引退表明)が池田氏との関係を国会で3度追及された。
池田氏は87年8月以降、亀井氏の口座に計18億円余りを振り込んでいた。池田氏の勧めで株に投資した亀井氏の友人らが損を出した。亀井氏は、「私は、やはり困っておる人があればこれを助けるというのが私の信念でありまして」と前置きし、友人に頼まれて池田氏と交渉し、自分の口座に株買い取り代金が振り込まれたと答えた(94年10月17日、参院予算委員会)。
その後、資金繰りが悪化した池田氏は東京佐川急便から30億円の融資を受ける。亀井氏の口利き疑惑が出たが、「私にとって身に覚えのないこと」と否定した(94年11月16日、衆院運輸委員会)。この時追及したのは、現在の公明党代表・山口那津男氏である。
その“敗戦”を飲み込んで、バブルは最高潮へ向かっていく。
池田氏は、雅叙園観光ホテルの融通手形を乱発して金を調達していた。タクマ乗っ取りが失敗に終わると、乱発した手形の回収に様々な人間が群がり、雅叙園観光ホテルの経営権は大阪の繊維商社イトマンへ渡る。これが、戦後最大の経済事件として知られ、3000億円が闇に消えたと言われるイトマン事件への導火線となった。
仕手戦も巨大化した。大物仕手筋の指南とされるが、暴力団・稲川会の石井進会長らが東急電鉄株を買い占め、株価が急騰したのは89年のことだ。後に、石井氏は、大手証券会社2社から360億円あまりの融資も受けていたことが明らかになった。
88年8月の朝、JR新大阪駅で「今から東京へ行く」と秘書に言い残し、池田氏は消えた。
失踪の理由は様々語られ、「奄美大島まで拉致され、クルーザーに引っ張られてサメのエサにされた」と明かす人もいるが、今も謎のままだ。
失踪3カ月後、コスモポリタン破産。グループ全体の負債は3117億円に上り、戦後最大の倒産となった(朝日新聞89年5月15日)。
池田氏に翻弄された1つが、奈良・東大寺近くの山中にある旅館「大和山荘」だった。武士が馬上のまま通れる立派な武家門のある老舗旅館は、後に倒産。廃墟は、池田氏の霊が出るという心霊スポットとして知られたが、今は忘れられている。