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特集観る将棋、読む将棋

挫折のたびに強くなる糸谷哲郎八段、その原点に私は居合わせた

将棋棋士・遠山雄亮の眼

2021/01/29

 今や押しも押されもせぬトップ棋士となった糸谷哲郎八段の将棋人生最初の挫折は、棋士の養成機関である奨励会に入会した1998年に訪れた。才能あふれる小学生にとって、昇級できない2年間は心が折れても仕方ないほど長い期間だ。

 しかし挫折を経て才能を開花させる。

 一つ昇級してキッカケをつかむと、あっという間に奨励会の最終地点である三段に昇段した。

三段と四段では天と地ほどの差がある

 迎えた2005年の第37期三段リーグ最終18回戦。勝てば2位以上が確定してプロ入りが決まる一番に、16歳の糸谷三段(当時)は敗れてプロ入りを逃す。三段と四段では天と地ほどの差があるのが将棋界だ。ここで再び挫折を味わうことになる。

 そして糸谷三段が敗れたことで代わりに棋士の座をつかんだ人がいるーー。

 この時のリーグには、いまをトキメク棋士が多く在籍していた。豊島将之現竜王(16)、佐藤天彦現九段(17)、中村太地現七段(16)など挙げればキリがない(カッコ内は当時の年齢)。

 彼らは「平成のチャイルドブランド」と呼ばれ注目を集めていた。その中でも糸谷八段の評判は高かった。

糸谷哲郎八段 写真提供:日本将棋連盟

 筆者は年齢制限(26歳の誕生日までに四段に昇段しないと奨励会を原則退会となる)間近で第37期三段リーグを迎え、初戦で糸谷三段と対戦した。

 三段リーグは1日に2局行われる。午前中に糸谷三段との勝負を制した筆者が昼食をとりに控室へ行くと、糸谷三段が仲間に先ほどの将棋を見せていた。そこには午後に対戦する稲葉陽三段(現八段)も交じっていた。

 事前に情報を共有しているのか、一瞬そんな思いがよぎったのだが、どうもそんなムードはない。

 目を輝かせて研究を続ける彼らからは、「将棋が好き」な純粋さがあふれていた。

糸谷三段が敗れたことでプロ入りを決めたのは……

 午後の稲葉三段戦にも勝利した筆者は、彼らとの対戦で意識が変わったのか、この三段リーグでトップを快走する。

 糸谷三段や佐藤(天)三段といった「平成のチャイルドブランド」も星を伸ばしてプレッシャーをかけてくる。いつしか並ばれ、糸谷三段には星の上でリードを許した。

 そして最終戦、糸谷三段が敗れたことでプロ入りを決めたのは筆者だった。

 糸谷三段が挫折を味わった勝負は、筆者にとって運命の転換点ともいえる勝負になった。もし糸谷三段が勝っていたら、筆者は棋士になれなかっただろう。

 糸谷三段は次の第38期三段リーグで、同じ17歳の中村(太)現七段とともにプロ入りを決める。

 昇段を逃して精神的ダメージを負っている中、次のリーグで再び好成績をあげるのは並大抵のことではない。糸谷三段が粒ぞろいのメンバーの中でも飛び抜けた実力を持っていた証だ。