判断基準は「ファンのため」「将棋界のため」
こうして挫折を経て強さを増した糸谷八段はエリート街道を走っていく。
プロ入りすぐに若手登竜門の第37回新人王戦で優勝。3年後には第59回NHK杯で3人の永世称号資格者を破って決勝進出(決勝は羽生善治名人(当時)に敗戦)。準決勝では渡辺明竜王(当時)を超早指しでふっ飛ばしてファンに衝撃を与え、翌第60回NHK杯でも準優勝した。
エリート街道まっしぐらの若者はいい将棋を指せばいい。それで十分にファンを喜ばせることができる。
しかし糸谷八段はそれをよしとせず、関西若手棋士をまとめ、「西遊棋」を立ち上げて普及の音頭をとった。
糸谷八段の判断基準は「ファンのため」「将棋界のため」。「自分に利する」かどうかで正否を決めず、労を厭わない。そして手柄は人に譲る。手柄だけを求める人が多くいる世の中なのに。
だから糸谷八段に人がついていく。
筆者も糸谷八段を頼っていた。
「モバイル編集長」という肩書きで将棋連盟の対局中継事業に携わっていた時、まだ20代前半の糸谷八段に関西での事業発展について仕事をお願いしていた。
関西での対局中継事業の発展に欠かせない存在だった。
必ず挫折を糧にする
2014年、糸谷八段は第27期竜王戦で快進撃を続ける。
挑戦者決定三番勝負で羽生九段をくだし、七番勝負では森内俊之竜王(当時)を4勝1敗で破ってビッグタイトルを獲得した。
嬉しい出来事だった反面、タイトルホルダーとして将棋界の顔としての仕事が増えたことで対局中継事業の仕事は一区切りとなった。
順調に思えた糸谷八段だが、ここから挫折を味わう。2015年に竜王を奪われ、2016年にもタイトル挑戦が失敗に終わる。
それでも糸谷八段は必ず挫折を糧にする。2018年に第76期順位戦でA級昇級して、トップ棋士としての地位を確立している。
糸谷八段とは2019年から棋士会(会長:中村修九段)で同じ副会長として再び仕事を共にしている(副会長は他に畠山鎮八段)。
棋士会はファンとプロのために奉仕する団体である。
コロナ禍で全てのイベントが中止になった昨春。ファンの気持ちが離れぬよう、棋士・女流棋士が安心して普及活動に邁進できるよう、棋士会役員で何度もオンライン会議を重ねて方策を練った。YouTube公式チャンネルの立ち上げはその一つで、糸谷八段と一緒に慣れぬ管理画面をあれこれ探ったものだ。