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特集観る将棋、読む将棋

「失冠の2日後にいい内容で勝てた」斎藤慎太郎八段はなぜ“後退”しなかったのか

斎藤慎太郎八段インタビュー #1

2021/02/02

 初参加のA級順位戦で6勝1敗と、名人挑戦を目指して突き進んでいるのが斎藤慎太郎八段だ。そのスマートな物腰から、女性ファンも多い。羽生善治棋聖(当時)とのタイトル戦、藤井聡太七段(当時)との対局、そして中村太地王座(当時)を下しての初タイトル獲得、さらには失冠を乗り越えてA級昇級に至るまでの歩みについて聞いた。

斎藤慎太郎八段

師匠は、私にも大人と同じ目線で話してくれる

――まず、斎藤八段が将棋と出会ったきっかけを教えてください。

斎藤 小学校に入る前、公文式の教室に通っていまして、そこで偶然手に取った本が羽生さん(善治九段)の入門書でした。もともとトランプなどのゲームは好きで、そういうゲームなのかと親に聞いた記憶があります。

 ルールを覚えてからは父に相手をしてもらいましたが、父も将棋は知らなかったはずなので、一緒に覚えたのでしょうか。2~3ヵ月して、父に勝てるようになってからは、自宅から一番近かった関西将棋会館の教室へ行くようになりましたね。当時はアマ20級くらいだったと思います。教室には200冊近い本があったので、偶然とはいえ運命的ですね。

――斎藤八段が、師匠となる畠山鎮八段に入門をお願いする手紙を送ったというエピソードは有名ですが、それ以前にも別の棋士から教わる機会はありましたか。

斎藤 棋士の先生から指導を受けたのは10~15人ほどだったかと。こちらは子どもですから、やさしく教えていただきましたが、師匠は私にも大人と同じ目線で話してくれているという実感がありました。その分、厳しく言われることもありましたが、当時小学校低学年の私にはそれが目新しかったんです。

――奨励会入会前後、ライバル視していた方はいますか。

斎藤 どうでしょうね、うーん。意外と難しいですね、特にいなかったかな。少し年上の研修会員から入会を勧められたこともあり、ライバルというよりは周りからよくしてもらったという感じのほうが強いです。ただ、同世代では関東に気になる存在がいました。高見君(泰地七段)、三枚堂君(達也七段)、あとは1学年下ですが佐々木君(勇気七段)。大会で見かけて、凄いと思いましたね。

 

三段リーグは人生の重みを感じ、もっとも勉強した時期だった

――斎藤八段が奨励会へ入会されたのは2004年、当時小学5年生でした。そして三段に昇段したのが2008年。最初のリーグを中学3年で迎えています。はたから見る限り、スピード昇段のようですが。

斎藤 三段までは3年半だったので、その後もすぐに行けそうと思っていましたね(笑)。でも三段リーグを抜けるのに8期かかりました。一つ段を上げるのに4年というのは初めてで厳しさを感じ、それまでの自信を崩されましたね。三段リーグは人生の重みを感じ、もっとも勉強した時期だと思います。

 プロになる直前が高校3年で、周りも進路を考える時期でした。高校卒業のタイミングで棋士になれたわけですが、ここを逃していたらもっと後になっていたのではと思います。四段に昇段して、ホッとしたというのが第一感でした。そして同世代に遅れを取ったのを取り返したい、ここからがスタートだという意識を持ちました。