1ページ目から読む
2/2ページ目

「なんとかなる」でまずは行動!

 初めて体感したアメリカの野球は想像以上に異次元だった。日本とは違う投手の間合いと球速。「振り始めたらもう後ろにボールがあるような感覚でした」と苦笑いするほどで「ラッキーヒット以外は全部三振でした」と振り返る。それでも「無理だとはまったく思いませんでした」と言い切るのが中村の最大の武器かもしれない。アメリカでの経験が豊富な安田にも助言を受けて、なんとか打率.250で海外挑戦1年目を終えた。

 2年目となる2019年のウィンターリーグでは、その先へ繋げるために「しつこいくらい監督に絡みに行きました」と笑うように、サマーリーグの監督に「俺の名前覚えた?」と毎日のように語りかけ認知してもらい、夏場にも挑戦の機会を得た。また打撃でもレギュラーではなかったものの3割を超える打率を残した。

 英語も初めての渡米前はまったく分からなかったが「気合いです」と、ホストファミリーから球場までの道すがらに同乗の選手たちに言葉の意味や単語を聞き、多くを覚えた。

ADVERTISEMENT

「大丈夫だって感じてから挑戦するんじゃなくて、行ってから“なんとかなるっしょ”というタイプですね。不安に思うより、まずやってみればいいじゃんって」

 3年目となる昨年の渡米時もそうだった。1月のウィンターリーグに参加したものの獲得球団は現れず。その後は様々なチームにプレー動画などを送り続けていたが、世界は新型コロナ禍に包まれていく。それでも中村は挑戦をやめず6月15日に渡米。親には「正気か?」と言われたが、東京都とアメリカ・テキサス州の面積と感染者の数を調べて「面積あたりでの感染者は東京の方が多いんだから、むしろこっちにいた方が危険だ」という半ば強引な理論で納得させた。すると動画送付の効果もあり、アメリカ独立リーグのひとつであるペコスリーグに参加しているロズウェル・インベーダーズへの入団が決定。同球団の監督がかつての三好の教え子だった縁もあるとはいえ、中村にとって野球人生で初めて「プロ野球選手」となった瞬間だった。そのチャンスに中村も応え全29試合に出場し3割以上の成績を残した。

©高木遊

環境は自分で作るもの

 日本でプレーをしていた時は細々とした日々の出来事から、指導や出場機会が与えられないことまで様々なことに不満を持っていた。だがその意識は三好ら海外で挑戦を続ける先輩たち、三好らが国内でオフシーズンに行うスクールでの生徒たち、同じ独立球団でプレーする選手ら様々な背景を持った人と触れ合うことで「自分が望む環境は自分で作ればいい」と思いは変わった。

 帰国時はスクールの運営の手伝いや自宅近所での公園の自主練習に加え、交通整理のアルバイトを長時間行い渡米時の資金を貯める生活だが「僕よりも大変な思いをしている人はたくさんいる。僕なんか飯を食えて、やりたい野球をやれているので恵まれています」と、あっけらかんと話す。

 当初「就職もしないで何してんの?」と言っていた同期の仲間たちからの声を「ヘイターがいた方が燃える」と原動力にしていたが、彼らも社会の厳しさで疲弊し、好きなことで夢を追い続ける中村を応援する声も増えてきた。

 取材の最後にもう一度、これまでの歩みと今後の夢を聞くと、中村は迷いなく即答した。

「後悔なんてまったくありません。野球は確実に上手くなっているし、人間的にも大きく成長できていてプラスにしかなっていない。目標はMLBに行って長く活躍することです」

 その清々しい表情に、挑戦することの尊さをあらためて教えられた。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ウィンターリーグ2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/43026 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。