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田岡一雄の船出

 46年、ついに田岡三代目は、山口登二代目の遺言もあって山口組三代目組長に就任。舎弟と若衆を合わせてわずか33名での船出となった。

 田岡三代目は賭場の運営に見切りをつけると、戦前から手がけていた浪曲の興行に力を入れるようになった。芸能プロダクション「神戸芸能社」を立ち上げ、美空ひばりをマネージメントすることにより業界で一気に勢力を伸ばした。

 さらに、興行界での地位を決定づける事件が53年に発生する。当時、人気俳優だった鶴田浩二を山健組長らがレンガなどで襲撃し、重傷を負わせたのだ。田岡三代目も犯行を指示したとして逮捕されたが、「前年に鶴田のマネージャーの非礼に不快感を覚えたが、山健組長らに指示はしていない」と主張し、不起訴処分となった。

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暴力で芸能界に名を馳せる

 現在なら暴力沙汰を起こす芸能事務所は評判を落としそうだが、田岡三代目ともめたら何をされるかわからないとして、神戸芸能社の権威は絶大となったのだ。

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 この興行面と、すでに進出していた神戸港での港湾荷役業で得た莫大な収益を元として、山口組は50年代から全国侵攻作戦を展開。命知らずの配下組員らが死闘を重ねた結果、全国各地に菱の代紋が掲げられるようになったのである。

 田岡三代目の比類のないカリスマ性と、若き日に爆発させた暴力性が、いまだ隆盛を誇っている山口組の礎となっている。

日本のヤクザ 100の喧嘩

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