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山口組の礎をつくり、美空ひばりを芸能界に送り出す…伝説的「カリスマヤクザ」の正体とは

『日本のヤクザ 100の喧嘩』より #1

 日本最大規模の暴力団山口組の礎を築き上げ、美空ひばりからは「お父ちゃん」と呼ばれるほど慕われた。政財界とのコネクションも持ち、あらゆる分野でその名をとどろかせるなど、「神」として崇められることも珍しくないヤクザがいた。その男の名は田岡一雄だ。

 ここでは、別冊宝島編集部による『日本のヤクザ 100の喧嘩』を引用。暴力で成り上がり、時代を動かしたカリスマヤクザ田岡一雄の生涯を紹介する。(全2回の1回目/後編 を読む)

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山口組を日本最大規模の団体に押し上げた男

 類まれな人心掌握術を操り、有能な子分らを数多く従えることで、三代目山口組の田岡一雄組長は、神戸のローカル組織を日本最大規模にまで押し上げることに成功した。その功績は1981年に亡くなってから40年近くの時間が流れた現在でもまったく色あせていない。「日本一の子分」を自称した“山健”こと山本健一・山健組初代組長、大軍団を率いた「ボンノ」こと菅谷政雄・菅谷組組長、田岡三代目が亡くなったのち、山口組を脱退し一和会を結成した山本広(山広)・山広組組長、その山広組長と四代目組長の座を争った竹中正久・竹中組組長といったスターヤクザの子分らから、神のごとく崇あがめられていた。そうした印象が強いせいか、田岡三代目自らが抗争に関わった姿は想像しにくいかもしれない。

 だが、田岡三代目も若き日には度胸と腕力を武器に、対立する相手や組織と、命懸けの真剣勝負を重ねていたのである。

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 27年に高等小学校を卒業したあと、旋盤工の見習いとして就職。しかし、現場主任からの理不尽な横暴に耐えきれなかった田岡三代目は、暴力を振るって抵抗したため、あえなく解雇処分を受けた。

山口組との縁の始まり

 あてもなく神戸の繁華街を歩いている際、小学校の同級生だった二代目山口組・山口登組長の実弟と再会を果たす。この偶然をきっかけにして、田岡三代目と山口組の縁が始まった。

 バクチ修業に精を出すかたわら、毎日のように喧嘩を繰り返していた田岡三代目は、あるとき、柔道の猛者に路上で因縁をつけられた。その際、とっさに突き出した指が相手の目に入って見事に勝利を収めたという。その後、神戸の不良たちを相手に“目潰し攻撃”を重ね、見事に必殺技を修得。以来、喧嘩では連戦連勝したとされる。

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