函館のシンボルでもある五稜郭は、幕末に築かれた星形の要塞です。「五稜郭」とは5つの郭(稜堡)を並べた星形の城の総称。同じように星形をした龍岡城(長野県佐久市)も五稜郭といい、函館市内には五稜郭と同時期に築かれた「四稜郭」もあります。
五稜郭の築城には、幕末の動乱が深く関係します。
嘉永6年(1853)にアメリカのペリーが上陸し安政元年(1854)に日米和親条約が締結されると、翌年3月からの箱館の開港が決定。そこで江戸幕府は、領地の防備と外交諸外国との対応を強化すべく、安政元年6月に箱館とその周辺を直接統治する「箱館奉行」と呼ばれる行政機関を設置しました。
なぜ星形をしているのか?
当初、箱館奉行所(正式名称は箱館御役所)は箱館山麓付近(現在の元町公園付近)に開設されました。しかし港に近く、防衛上望ましくありません。
そこで、外国軍艦の大砲の射程(約2.5キロ)から外れる、海岸線から約3キロ離れた現在の地に移転されました。箱館山麓の市街地から約5キロ程度しか離れていないため連絡に支障をきたさないこと、亀田川から引水できる丘陵地であることも選地の理由だったようです。
珍しい星形をしているのは、ヨーロッパ式の城だからです。星形の頂点の部分に「稜堡」というスペースを5つ並べ、石垣、水堀、土塁で囲む稜堡式。さらに、正面にあたる星形の凹みの部分に、「半月堡」という堡塁が設けられています。虎口(出入口)の前面に離れ小島のように突き出す半月堡は、戦国時代の城でいう「馬出」と同じ役割です。