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幕府の威信をかけた渾身の建物

 大名屋敷のような箱館奉行所庁舎は、江戸の職人が手がけた本格的な書院造りの建物です。よく見ると寒冷対策がなされておらず、完全な江戸様式。青森ヒバや秋田杉など材木もすべて一級品で、能代(秋田県)で加工され、わざわざ船で搬入されました。発掘調査により、北前船で運ばれたとみられる北陸地方の笏谷石が礎石に用いられ、屋根瓦は釉薬分析から越前産の赤瓦と判明しています。

 つまり箱館奉行所庁舎は、当時の日本の最高技術を駆使した御殿でした。さらに驚くのが、五稜郭内に生えている松が、佐渡島から運ばれていること。現在は85本ですが、なんと築城時には444本が移送されたそう。輸送だけでも莫大な費用がかかったことでしょう。

2010年(平成22)に復元された箱館奉行所庁舎。
五稜郭内の松は佐渡島から運ばれた。
運ばれた松の数は444本に及ぶという。

 半月堡を設計通りに建設して防御力を高めること以上に、外交の窓口としての「格」を重んじたのでしょうか。長年の鎖国を解いた日本が、いかにして諸外国と対等な関係を築いていくか――。幕府の緊張感や真意が伝わると同時に、当時の価値観や美意識も垣間見えます。

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 こうした緊張下で完成した五稜郭ですが、奇しくも戊辰戦争という内紛の激戦地として歴史に名を刻んだのはよく知られるところです。明治元年(1868)、榎本武揚率いる旧幕府軍は蝦夷地鷲ノ木に上陸し五稜郭で蝦夷地領有を宣言するも、翌年に新政府軍の攻撃を受け降伏。戊辰戦争は五稜郭での激戦を最後に終幕しました。箱館奉行所庁舎の屋根に乗った太鼓櫓が目印となって大砲の照準を計算されてしまい、砲撃を浴びたとされています。

撮影=萩原さちこ

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 五稜郭をめぐる旅の模様は、「文藝春秋」2月号の連載「一城一食」に掲載しています。