昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

髙木 それで、ふわっとしてはいるけど、その企画書を読んでまず思ったのは、行くはずもない人が田舎の食堂に突然現れて、そこで町の人が芸能人を見て「うわー!」ってなったときに何が起きるか、それが楽しんだろうな、ということでした。もちろん、GACKTさんが無名のローカル番組に出てくれるはずはないですけど(笑)。でも、予定調和じゃないものが楽しくて、あとは、それと何を組み合わせたらもっと面白くなるのかな、と考えていきました。

――その段階では千鳥をMCに、ということも決まっていなかった?

「ちょっと待てぃ!」ボタンはこうして生まれた

髙木 そうですね。それこそロケだけの番組なのか、スタジオで誰かがそのロケVTRを見る番組なのかも決まっていなくて。ただ、年始にトライアルで放送しようか、と言われていたので、現在の番組演出をしている後輩とむちゃくちゃ急ピッチで企画をまとめました。

――そんな中で、千鳥をMCに据えたきっかけは何だったんでしょうか。

髙木 ちょうどその頃に、千鳥の単独ライブがあったんです。芸人さんの単独ライブって、後半はゲストを呼んでトークコーナーとか、若手だとゲームコーナーだとか、どちらかというと“間を埋める”感じになることも多いんです。でも千鳥はそうじゃなくて、大悟さんが舞台の上で色んな人と大衆演劇をやっていて。その劇は「大悟魂(だいごこん)」という名前だったんですけど、これは大悟さんのリスペクトしている志村けんさんが、もともと「志村魂(しむらこん)」という舞台をやっていて、そのパロディだったんですね。

©ABCテレビ

 大悟さんが舞台に立っている間、ノブさんは観客側に座っていて、一つのカメラで顔が抜かれている。それがずっと、舞台の後ろに大きく映っているんです。で、その大衆演劇にはボケがいっぱいあって、それにノブさんがツッコんでいって、一つの作品に仕上げていくという構図です。それを見たときに、あ、これをテレビにしたら面白いんちゃうかな、と思って。それで千鳥にオファーしたんです。

 僕はずっと、千鳥の本質はダブルツッコミ、ダブルボケだと思っていたんですよ。基本は大悟さんがボケて、ノブさんがツッコんで、という形なんですけど、ロケやスタジオトークでは逆になることも多くて、その掛け合いがめちゃくちゃ面白い。じゃあ、二人でツッコんで、その間に大悟さんがボケて、それに対してもう1回ノブさんがツッコんだら面白そうだな……そうなると、途中でVTRを止めないといけないな、という感じで考えていって。最終的には1本のVTRを使って、千鳥が毎回、壮大な漫才をお届けするくらいの感じでいこうと。当時はここまで言語化できてはいなかったんですけど、そんなことを想像しながら、企画を固めました。

初回を放送してみて気づいた“誤算”

――千鳥の二人は、今では全国ネットでいくつも冠番組を持っている超売れっ子ですが、オファーされた当時はどんな印象だったんでしょうか。

髙木 東京で人気が出始めていて、そろそろ来そうだな、大ブレイクしそうだなという空気はあったと思います。『アメトーーク!』の「帰ろか・・・千鳥」みたいなノリから、段々と「クセがすごい」が流行りだしてきて。そんな頃だったと思います。実を言うと、芸人さんと何かを一緒に作りたい、何かを成し遂げたいと思ったときに、千鳥さんをMCにできるのは今がラストチャンスじゃないか、というのは、僕の中でちょっとあったかもしれないですね。好きな千鳥を活かして番組を作れる、二人と何かを共有しながら成し遂げる機会は、今を逃したらもうないんじゃないかと。

髙木伸也プロデューサー

 あとは千鳥の二人に、「ここで俺らにベットしてくれたんだよね」と思ってもらうのも、すごく大事だなと考えていて。もしかしたら、オファーがあと半年、1年ズレていたら、千鳥からすれば「あぁ、売れたから俺らに声かかったんかな」となっていたかもしれない。偶然ではあるんですけど、すごく良いタイミングだったなと思います。

――そうして迎えた第1回の放送は、かなり手応えがあるものだったんでしょうか。