生地を染める作業や仕立てにそうとうな手間や時間がかかるうえ、市場が小さいので大量生産によるコストダウンができない。浴衣は例外として、着物というのは基本的にファストファッションとは正反対のものなのだ。
それでもなおモヤモヤするのは、衣服のなかでも圧倒的に高額で、適正価格がよくわからないからだと思う。昭和の着物バブルのノリが細々と続いているムードと言ったらいいのだろうか、高くて当然ですからと、開き直って煙に巻いてるような感じは、どうにかならないかと思うのだ。
着物メーカーの中の人の話
これについて、率直に訊ける人はいないのか?
思い出したのは、着物着付け講師のすなおさんだ。着付け教室を開く以前は、京都の着物メーカーに数年間営業として勤務していた、つまり着物販売の現場をドップリと経験した人なのだ。
「着物って本当に高いですよね。私も大学生のときに買って、ローン返済のためにバイトを3つかけもちしたり......けっこう大変な思いをしました」
すなおさんは、着物が高額なのは流通に問題があるからだという。
「着物や反物が店頭に並ぶまでの間には、複数の会社が関わっています」
それは高くなって当然だ。
問屋がすべて不要なんてことは言わないけれど、なぜいくつも通す必要があるのだろう。しかし明確な答えはないのが、いかにも着物の国らしくて、どうやら慣習なので割愛できないということらしい。
「最近はメーカーの直販も少しずつ増えてきましたが、業界内の相場があるので急激な価格変動はおこりにくいと思います」
フム~、そういうことになっているのか。昭和の着物バブル時代ほどではないにしろ、高止まり感と不透明感は否めない。
そこでひとつ気になったのは、着物販売員時代のすなおさんの心持ちだった。個人の力ではどうにもならないとはいえ、適正価格をはるかに超えた高額商品を扱う仕事をすることに、どう折り合いをつけていたのだろうか?
「高いものを売っていると意識していたときは、まったく売れませんでした。途中から気持ちを切り替えて、お客さんにとって役に立つ情報やアイデアを提供すること、楽しい時間を過ごしてもらうことに集中するようにしました」
その結果、売るつもりがなくても、売上が伸びていったという。押しつけではなく、お客が「これ欲しい!」と心から思える運命の出会いをつないだということなのだろう。