誰に向かって涙するのか
捕まって、苦しくて自殺するんじゃない。まあ、自分からの逃避なんだけど、ひとことひとことが囚われてでてきたんです。死のうと思った時、一言残せないことが無念に思えてきた。そうしたら、自分が殺した人たちはどうだったんだろうと。──自分は千代田線だから、亡くなられた菱沼さんと高橋さん(霞ケ関駅駅員)のことを思いました。この2人は、自分が死ぬことすらわからなかったんじゃないか。それから、その家族、それから苦しくって死ぬってことも意識になかったんじゃないか。すごく無念だったんだろうなと思って……。
私は修行していて、自分の家族のことは結論が出ていると思っていて、それでも死ぬとなると、一言書き残しておきたいと、ましてや亡くなった2人の家族にとっては、その思いというのは、大変なものだったとわかったんです……。
私に、家族や、縁のある人がいるように、2人にも家族がいて、お子さんがいて、親御さんがいて、その2人がどうして亡くなられたのか……私の撒いたサリンを、電車を走らせるために片付けたことで、亡くなられたわけなんだから……。
私は医者で、本来……人を助ける本来の職業でありながら、そういう人たちに較べて……うっ! だぁっー!」
あとは声を上げて泣くばかりだった。時折、大きく深呼吸しながら、ずっと堪えて証言を続けていたものが、堰を切って襲ってしまった。頭を抱えて証言台に突っ伏し、人目をはばからずに号泣していた。どうにもおさまらずに、裁判長が言った。
「15分、休廷します」
法廷はそのまま休廷になった。
こうした態度が、反省・悔悟の情が顕著と評価されたことにつながった。
そればかりか、遺族の心も揺り動かしていった。遺族のひとりは、法廷で林郁夫には極刑を望まないとまで述べている。
では、横山はどうしたらいいのだろうか。
誰に向かって涙したらいいのだろうか。
