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”ファミリー”のほうにこそ問題がある
いかがだろうか。
森喜朗は今回「女房にさんざん怒られた」「娘にも孫娘にもしかられた」「女性職員から励ましの手紙をもらい」と言い、「まともな男性」の証明をしようとしていた。
しかもヨーホー議員と違うのは家族だけでなく「女性職員」まで使っていたことだ。つまり森喜朗にとって組織委もやはり“ファミリー”であることがわかる。
今回の事態は森喜朗個人だけでなく、今も「余人をもって代え難い」と森を支える“ファミリー”のほうにこそ問題があることが可視化されている。
この問題は、仮に森喜朗が辞任して済む話なのだろうか。辞任したとしても五輪を開催するのであれば、森喜朗的なもの(日本のトップの古くて閉鎖的な構造)が依然むき出しで、世界に発信されていくのだ。コロナに打ち勝った証、とか平然と言いながら。
そんなことを考えていたら自民党の二階幹事長がボランティア辞退について「そんなこと」と言い放った。森の性差別への抗議に対してだ。そして「落ち着けば考えは変わる」とも。
ほら、森喜朗個人の話ではない。日本が可視化される恥ずかしい聖火が、順調にリレーされているではないか。