浅香光代との確執から「ミッチー・サッチー騒動」勃発
野村が阪神の監督に就任した1年目の99年3月、沙知代と女優の浅香光代(故人)との間の確執から派生した「ミッチー・サッチー騒動」が勃発すると、多くの芸能人がこれに参戦。騒動の渦中に沙知代の学歴詐称問題が露呈し、その2年後の2001年12月5日には脱税容疑で沙知代が逮捕されてしまった。
沙知代が逮捕された当日の午後2時、野村は自宅でテレビのワイドショーを見ていると、ギョッと驚いた。毎日のように見慣れた門構えが画面に映っていたからである。直後、大勢の東京地検特捜部の捜査官が門の入り口に集まり、そのうちの1人が「ピンポーン」と自宅のチャイムを鳴らす。
このとき沙知代は自宅にはいなかった。この前日、ホテルで東京地検特捜部の捜査官に任意同行を求められ、すでに逮捕されていたからだ。
自宅を出る直前、沙知代は野村に、「あなたは何も知らなくていいの」と言っていた。それまで経理関係の一切は彼女に任せていた野村にとって、逮捕の知らせは計り知れないほどのショックだった。同時に、「なんてことしてくれたんだ、バカヤロー!」という思いも浮かび上がってきた。
沙知代が保釈後、帰宅して放った第一声は…
この直後、野村は事件の影響を考えて、当時指揮を執っていた阪神の監督を退任することになった。野村自身、「解任やむなし」と覚悟していたが、「野村さんも今後がある身です。辞任ならば世間の受け止め方が違います」という阪神球団の寛大な判断に救われた。
後日、沙知代が保釈され、自宅に帰ってきた。そのときの第一声が、
「ごめんなさい。あなたにすっかり迷惑をかけてしまいました」
野村自身、沙知代と30年以上一緒に暮らしてきて、彼女から謝罪の弁を聞いたのは、これが初めてのことだった。一連の騒動の渦中、週刊誌には「野村、離婚を決意」などと書かれ、野球界からも「離婚しろ」という声が上がった。
だが、野村の決断は違った。「彼女と生涯添い遂げる」と誓ったのだ。
たしかに沙知代とは喧嘩もしたし、憎んだり恨んだりしたこともあった。だが、これまでを振り返って、野村自身が苦しかったときに沙知代の言葉で救われたこと、沙知代の行動で助かったことも数多くあった。どんなにビーンボールや暴投を投げても、ときには素晴らしいボールを投げてくれることもある。それによって「野球人・野村克也」はさらなる進化をすることができたのだ。
「オレたちは決して模範的な夫婦とは言えない。他人から見ると、かなり風変わりな夫婦なんじゃないか」と生前、野村は話していた。気が強く、自己中心的で饒舌家の妻とまるで正反対の夫。お互いにほめることも、おだてることもしない。けれども心の中では、お互いの長所や短所も認め、どんなときでも信頼関係を失うことはなかった。