「生まれ変わっても沙知代と結婚したい」と言葉にするほど愛した妻、野村沙知代氏が亡くなったのは2017年12月18日のこと。それから2年強が経ち、2020年2月11日に野村克也氏が逝去した。

 妻の死後みるみるうちに覇気を失っていった様子は誰の目にも明らかだったが、あの時、野村克也氏はどのような思いで日々を過ごしていたのだろうか。ここでは、野村克也氏のインタビューをまとめた書籍『弱い男』(星海社)を引用し、人生の終幕に抱えていた耐えがたき「男の弱さ」を紹介する。(全2回の2回目/前編 を読む)。

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いつも「死」のことばかり考えている

 死ぬことを考え始めたのは、80歳を過ぎてからのことだった。

 具体的に言えば、沙知代が死んでからのことだった。

 今ではいつ死んでもいいと考えている。もうこれ以上長生きしたいとは思わない。

「これから、生きていていいことがあるのか?」と考えてみる。いくら考えても、何も頭に浮かばない。逆に聞きたいよ、「何があるの?」って。

 ほしいものがない。むしろ、いらないものばかりだ。すべての欲がなくなっていく。心も身体も、すべてが鈍感になっていく。

 もちろん、自分でも「これで人間としていいのだろうか?」とは思う。

 だからこそ、「人間として最後にできること、やるべきことはないだろうか?」と自問自答してみるものの、何も思いつくものがない。

 自分でやれることがないよ。野村克也―沙知代=ゼロだ。

 私は常々、「人間にとって最大の悪は鈍感である」と言い続けていた。「考えることをやめて、ただ状況に流されているだけでは絶対に勝てない」と訴え続けてきた。

 けれど、ついに私自身が「鈍感」に到達しようとしている。

 到達したら、そこに待っているのは「死」だ。

 この数年で野球界の同級生たちが次々と死んだ。

 長く生きれば生きるほど、友を見送る機会は多くなる。それは自然なことである。だからなのか、あまりもの悲しいという気分には浸らない。

 訃報を聞いたり、葬儀に出たりしても、そこにあるのはただ「友を見送る」という意識があるだけ。「あぁ、アイツも死んじゃったか。次はオレかな」と思うだけだ。

 涙は流れない。沙知代の葬式だって、涙は出てこなかった。

 死が近づくというのはこういうことなのだろう。どんどん鈍感になっていく。みんな苦しい死に方をしていないから、「あぁ、よかったな」と思うだけだ。

©文藝春秋

 やっぱり、沙知代はいい死に方をしたと思う。たった5分だったのだから。

 そして、次はいよいよ私の番だ。できることならば、沙知代のように苦しむことなく、あっけなく向こうに逝くことができたのなら、どれだけいいだろう。

 そんなことをついつい考えてしまう、今日この頃なのだ。