「強い妻」に先立たれた「弱い夫」として生きる日々
それにしても、どうして沙知代はあんなに強かったのだろう?
長女だったからなのか、常に強気で、弱いところなんて一度も見なかった。どんなときでも、ゴーイングマイウェイな女だった。
普通の男なら、あんな強気な女とうまくやっていくことはできないだろう。すぐに衝突するのは目に見えている。私は一度も怒ったことはないけれど。
一般的な男ならば、相手がバツイチだと腰が引けるはずだ。世界広しといえど、逃げなかったのは私くらいじゃないのかな? 正確に言えば「逃げなかった」のではなく、「逃げられなかった」と言うべきか、つまり「つかまった」のだ。
なにしろ、彼女が語っていた経歴はぜんぶウソだったのだから。
実の子どもを「拾ってきた」だなんてウソをつく女が他にいるものか。鵜呑みにする方もする方なのかもしれないけれど、どうしてあんなに見栄を張るのか?
私も田舎者だから、育ちがよくないことを引け目に感じるのはよく理解できる。
私も見栄っ張りと言えば、見栄っ張りだ。
見るからに高そうな洋物の服とか時計とか、本当の金持ちなら買わないはずだ。でも、私はついつい買ってしまう。極貧家庭で育った田舎者の悲しい性なのだろう。
「サッチーの夫」になれるのは私だけ
それにしても、沙知代の場合は度が過ぎていた。
経歴の何から何までがウソなのだ。私のためについていたウソと言えば聞こえはいいけれど、今から思えばシングルマザーとして、「子どものためにも少しでも稼ぎがいい男をつかまえたかった」というのが本音だったのではないだろうか?
そう、子どものため。そういうところは、沙知代といえどもやはり母親らしいじゃないか。やっぱり、母は強いということだ。
おそらく、いまだに見抜けていないウソもあるのだろう。でも、今さらそんなものがわかったところで、別にどうでもいいし、気にもしない。
そうだ、沙知代が泣いたことが一度だけあった。
お母さんが亡くなったときだった。彼女の涙を見たのはそのとき限りだ。
沙知代にとって、私をつかまえたというのは幸運だったと思う。世界中探し回っても、「サッチーの夫」になれるのは私だけだ。それは自信を持って言える。
女房に先立たれて、ますます弱くなったとつくづく感じる。