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野村克也-沙知代=ゼロ…「強い妻」に先立たれた夫が晩年に向き合い続けた“心の弱さ”とは

『弱い男』より #2

2021/02/11
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「強い妻」に先立たれた「弱い夫」として生きる日々

 それにしても、どうして沙知代はあんなに強かったのだろう?

 長女だったからなのか、常に強気で、弱いところなんて一度も見なかった。どんなときでも、ゴーイングマイウェイな女だった。

 普通の男なら、あんな強気な女とうまくやっていくことはできないだろう。すぐに衝突するのは目に見えている。私は一度も怒ったことはないけれど。

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 一般的な男ならば、相手がバツイチだと腰が引けるはずだ。世界広しといえど、逃げなかったのは私くらいじゃないのかな? 正確に言えば「逃げなかった」のではなく、「逃げられなかった」と言うべきか、つまり「つかまった」のだ。

 なにしろ、彼女が語っていた経歴はぜんぶウソだったのだから。

 実の子どもを「拾ってきた」だなんてウソをつく女が他にいるものか。鵜呑みにする方もする方なのかもしれないけれど、どうしてあんなに見栄を張るのか?

©iStock.com

 私も田舎者だから、育ちがよくないことを引け目に感じるのはよく理解できる。

 私も見栄っ張りと言えば、見栄っ張りだ。

 見るからに高そうな洋物の服とか時計とか、本当の金持ちなら買わないはずだ。でも、私はついつい買ってしまう。極貧家庭で育った田舎者の悲しい性なのだろう。

「サッチーの夫」になれるのは私だけ

 それにしても、沙知代の場合は度が過ぎていた。

 経歴の何から何までがウソなのだ。私のためについていたウソと言えば聞こえはいいけれど、今から思えばシングルマザーとして、「子どものためにも少しでも稼ぎがいい男をつかまえたかった」というのが本音だったのではないだろうか?

 そう、子どものため。そういうところは、沙知代といえどもやはり母親らしいじゃないか。やっぱり、母は強いということだ。

 おそらく、いまだに見抜けていないウソもあるのだろう。でも、今さらそんなものがわかったところで、別にどうでもいいし、気にもしない。

 そうだ、沙知代が泣いたことが一度だけあった。

 お母さんが亡くなったときだった。彼女の涙を見たのはそのとき限りだ。

 沙知代にとって、私をつかまえたというのは幸運だったと思う。世界中探し回っても、「サッチーの夫」になれるのは私だけだ。それは自信を持って言える。

 女房に先立たれて、ますます弱くなったとつくづく感じる。