沙知代が亡くなっても、涙は出なかった
沙知代が亡くなってしまっても、涙は出なかった。
彼女が机に突っ伏していたときも、救急車内で応急手当を受けていたときも、亡くなったんだと聞いたときも、葬儀のときも……。
どうして涙が出なかったのかな?
その理由は今でもわからない。ぜんぜん見当もつかない。現実感がまるでないというのは、確かにそうだったけれど。
70歳を過ぎた頃から、「オレより先に逝くなよ」と沙知代に口にするようになっていた。別に、老い先短い予感があったからではない。世間一般的に考えれば、いつ死んでもおかしくない年齢になってきたから、口にしていただけだ。年寄りらしい話題だよ。
すると「そんなのわからないわよ!」と、いつも通りの強気の発言が返ってきた。
けれど、それを聞いていたからといっても、沙知代が先に亡くなるとはこれっぽっちも考えていなかった。
独りになることを想像することすらなかった
なぜなら、私の方が弱いからだ。私の方が先に逝くものだとばかり思い込んでいた。「独りになるかもしれない」とは想像もしなかった。
沙知代と一緒にいたら、自然とそんな考えになるのだと思う。
「オレより先に逝くなよ」と言い続けたのが悪かったのかもしれない。ふと、そんなことを考えることがある。どうして、あんなに言い続けたのか? 本当は独りになることを恐れていたのか、考えないようにしたかったのか? 言い過ぎたことを後悔している。
沙知代はどう考えていたのかな? 「わからない」って言っていたくらいだから、心のどこかでは「自分の方が先になるかもしれない」とは考えていたのだと思う。
まったく、心構えはできていなかった。
サッチーは概ね健康だった。年相応に老けて入院したこともあったけれど、命に関わるような大病はなかった。
突然死というのは珍しくないのかもしれないけれど、あっけないものだ。
苦しまずに死ねたのだからいい死に方なんだとは思う。
私も看取ることができたわけだし、まったく知らないところで死んでいた、いわゆる「孤独死」よりはマシなのだろうけれど、残される方はやはり辛い。
「もう少し長生きしてくれれば、もっと愛情を傾けられたのに」だとか、「もっと毎日を大切に過ごそうとしたのに」という後悔はない。
ただ、先に逝ってほしくなかった。
それにしても、どうして私は泣けなかったのだろう? 私は血が通っていない非情な人間なのか? 妻とはいえど、所詮は他人だからなのか?
いずれにしても、女房に先立たれるのは最悪の気分だよ。