前向きに考えられる人なら、そうやって生きていけばいいと思う。羨ましいとも感じる。だけど、私はマイナス思考だから、「ポジティブに考えろ」と言われたって無理だ。
「死んでも見守ってくれている」というのはおためごかしだ。
生きていてくれた方がいいに決まっているじゃないか。
死者は心の支えになるかもしれない。けれど、それは強い人の話だ。
私は弱い。ただただ悲しい。
そばにいないことが辛いよ。男はさっさと逝ったほうがいい。
もう十分に生きたし、幸せな人生だった
自分用の墓もできた。もう、心残りはないよ。
そういえば、沙知代の三回忌のときに初めて涙が出てきた。
ますます弱くなったからなのかな? それとも、ようやく彼女の死を受け入れることができたからなのかな? 悲しいことには変わりはないけれど。
沙知代が亡くなってから、涙もろくなったよ。ドラマを見ていてもすぐに泣く。
母が死んだときは「幸せだったの?」って聞いた。不幸な人生だったから。
沙知代はどうだったのかな?
幸せな人生だったと思うよ。私といういい夫を見つけられたのだから。
私も幸せだった。
野球があったから、ここまで生きてこられた。「野村克也」以上に、野球で成り上がった選手はいないだろう。やっぱり、幸せな人生だった。
そして、沙知代がいたから、こんなに弱い私も何とかここまで生きてくることができた。世間において評価を受けることができた。それはすべて沙知代のおかげだった。
私は本当に幸せだった。
あとは死ぬだけだ。
どんな死に方がいいのかな? 理想を言えば、沙知代みたいに苦しまずに死にたい。
監督時代には「胴上げされているときに死ねれば本望だ」と話したこともある。しかし、今となってはそれは叶わない。
残された時間が少なくなっていることは理解している。生きる気力、エネルギーのようなものも風前の灯火なのかもしれない。
さて、どんな死に方をするかな。
もう、十分に生きたよ。