落合より、女性を見る目はオレのほうがある
一方で、沙知代には隠し事ができなかった。野村が水商売の女性から携帯電話に着信があると、必ずと言っていいほど問いただし、直後に携帯を叩き壊してしまうことが一度や二度ではなかった。「猛妻」「恐妻」と呼ばれる一面はこんなところから見て取れた。
それでも野村は断言していた。「野村ひく野球はゼロだが、野村ひく沙知代もゼロなんだ」。たとえ無一文になっても、オレには女房がいる――。その強い思いが、野村の生きる原動力になっていたに違いない。
ところで、野村が野球人として認めていた1人に落合博満がいる。社会人を経てロッテに入団後は、中日、巨人、日本ハムと渡り歩いて3度の三冠王を獲得。2004年から8年間、中日の監督を務めて4度のリーグ優勝、1度の日本一に加え、8年すべてチームをAクラス入りさせる手腕を見せた。
「彼はたしかに野球人として卓越した理論と技術がある。オレもその点は一目置いているんだ」
こう評価した一方で、野村は落合についてこう付け加えた。
「だがな、女性を見る目はオレのほうがある」
野村はそう言い切っていたのだが、何を根拠にそう言ったのかはわからなかった。
落合と野村の妻には共通点がある。それは年上女房であることだ。野村と沙知代は3歳上、落合と信子は9歳上である。野球選手は社会の荒波にもまれていないことが多い。自分が世間を知らないから、頼りがいのある、しっかりした妻を求める。そんな部分があるのかもしれない。
この点は、野村の愛弟子である田中将大にも共通する部分だ。メジャーリーグきっての名門・ニューヨーク・ヤンキースで14年から7年間にわたって活躍できたのも、4歳年上の妻・里田まいの献身的なサポートがあったことを見逃せない。
「冥土で会っても、あいさつするのは止めましょうね」
沙知代は生前、自身が望む死に方をこう言っていた。
「朝、起こしに来たら冷たくなっている。これが私が望む亡くなり方」
そして野村にもこう注文をつけていた。
「そこそこの病院に入って、長いこと延命されたら、これまで貯めてきたものが全部なくなってしまうでしょう。お互いコロッと逝きましょうよ」
結果、沙知代の言葉の通りになってしまったが、野村が旅立ち、あの世で沙知代と再会してどんな話をしているのだろう……。
そう思いたいところだが、沙知代は生前、野村に対して、
「あなたとは現世では良縁に恵まれたと思っているけど、それは今生限りで結構です。冥土で会っても、お互い顔を伏せてあいさつするのは止めましょうね」
と言っていた。これは沙知代の照れも含まれているに違いない。見えない絆で結ばれた2人は、冥土でも「周りからはあれこれ言われるけれど、その実、芯の部分ではつながった夫婦」でいてほしいと願うばかりだ。
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