「周囲に推されたから大任を引き受ける」というニッポンの伝統芸
さて、川淵のオフサイドにより、我々は最後まで密室でうごめく森喜朗を見られた。マスコミに喋って既成事実化を狙う川淵三郎の手法も見られた。どちらもうんざりするほど古い。
川淵三郎はもう1つ問題提起をしてくれた。やる気満々なのに周囲に推されたから大任を引き受けるというニッポンの伝統芸である。昭和の政治家やらリーダーがやるお得意のムーブだ。これは調和と調整を守るという謙虚さアピールなのだろうが、一方で説明と責任を明確にしないままトップに就任できる狡猾さがある。
思えば森喜朗はその最たるものだった。2000年に小渕恵三首相が倒れて入院すると公的な手続きではなく水面下で後継森氏を決めたことで「5人組による密室政治」と批判され、森政権誕生の正当性にも疑問符がつく形になった(日刊スポーツ2月13日)。
今回の森→川淵指名は20年以上経っても森喜朗、もしくは森喜朗的なものが日本社会に根付いたままであることを見せつけたのである。
この閉鎖性を打破するには、やりたい人が手を挙げ、自分の言葉でプレゼンし、公開で納得させるという普通の方法がいい。そんな当たり前のことを考えさせてくれた。森喜朗すごい。
希望の祭典が政治劇へと変貌
森が辞意を固めたと報じると、ツイッターには「#森喜朗さんありがとう」として、これまでの功績をたたえながら感謝の言葉をつづった投稿が広がっていった(毎日2月13日)。
それなら最後まで問題点を投げかけてくれた今回の功績も「#森喜朗さんありがとう」だと思う。
白紙になった川淵案。この展開は皮肉な問題点を新たに提起した。政府の透明性である。
「事実上の待ったをかけたのは、菅首相だった」(読売2月13日)という。読売は情報戦についても書く。12日の金曜昼に一部の報道機関が「川淵氏は就任を辞退する意向」と速報を流すと、川淵氏は周囲に「俺は何も言っていない。それはガセネタだな」と語り不快感を示した。ところがその頃、既に事態は大きく動いていた(同)。