「お前とんでもねえヤツだな!」と言われた田澤キラー
変則日程となった2020年のBCリーグで、埼玉武蔵は実に59試合中39試合を新生球団神奈川フューチャードリームスと戦った。田澤も出場16試合中神奈川戦が11試合。「ほぼ神奈川の記憶しかない」と振り返る。鈴木尚典監督率いる「ネオマシンガン打線」を擁し、神奈川はプレーオフも勝ち抜き新規参入初年度初優勝を果たした。
神奈川が誇る打者陣の中に、「田澤キラー」と呼ばれた選手がいる。奈良雄飛外野手(30)。6回の対決で実に6打数4安打3打点。しかも内訳が三塁打、二塁打、本塁打、単打という「対田澤サイクルヒット」だ。一体どうやって田澤を攻略したのか尋ねてみた。
「最初は三球三振でした。今まで対戦してきた投手とは格が全然違う。悔しかったんですけど、こんな投手と対戦出来るようなリーグになったんだって、ちょっと嬉しかったです」
奈良雄飛は、若手の多いBCリーグではベテランの域にある。23歳までは投手だったが、手術をして野手に転向。BCリーグに入ってから成長を続けている遅咲きの打者だ。
「落ちるボールを振らない。でも振っちゃいけないと思うと低めのボールが頭に残るんで、むしろ『振らない』より『この球を打とう』という意識です。カットボールとかツーシームとか、真っすぐ系のボールに関しては『落ちないボール』として球種を減らして打つようにしました。他の打者の対戦や動画を見ても、真っすぐ系はちょっと浮くボールがたまにあるのが分かってたんで」
まだ思い通りの制球とはいかない田澤の隙を、奈良は見逃さずに打った。とはいえ簡単なことではない。奈良がホームランを打った場面では、続く3人の打者は全て芯を外されバットをへし折られていた。
10月14日の最終戦、最後の対決で田澤が投げた3球目のスライダーを、奈良はしぶとく一・二塁間のヒットにした。
続く打者を三振に斬ってこの回を終えると、田澤はチームメイトよりも先に、塁上の奈良に歩み寄った。奈良の拳にグラブを軽く合わせて田澤は言った。
「お前とんでもねえヤツだな!」
素直な賛辞だった。奈良が打ったことで田澤の価値が下がったというよりは、田澤を打った奈良雄飛とBCリーグの価値が上がった。そう思う。
田澤は現在34歳。150キロを超える球も変化球も健在だ。マウンドや球の違い、ストライクゾーンの順応には苦労したが、最終戦を終えた時には「思い描く球とのギャップはそこまで大きくはない」と語った。「まだ投げられる」実感はこのリーグで得たはずだ。
2020年12月末。田澤は、台湾・味全ドラゴンズとの契約を発表した。
日本に来た外国人投手を気にかけていた男が、また海を渡って言葉の通じない国へ行く。
新しい環境は彼の経歴の中で珍しいことではなく、切り替えの早い田澤は躊躇わず「次」へ向かうだろう。それでも公開された公式動画では、埼玉のあちこちを巡って色々なものを食べたことや、温泉の話を楽しそうに語っていた。横断幕や太鼓などのファンの応援に感謝し、若手への指導がいい経験になったという。事前に想像したよりもずっと深く、田澤は埼玉とチームに愛着を持ってくれた。
公式グッズ用に作られたコピーそのままに、「それでも、投げ続ける」田澤純一。日本の古巣として、宝物のような時間をもらった埼玉武蔵の選手もスタッフもファンも、その活躍を海のこちらで楽しみにしている。
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