右腕を肩からぐるりと回す独特のルーティン。サインを覗き込み、軽く頷いてセットに入る。素早いモーションと鋭い腕の振り。

「ブルペンからのルーティンは変わらないです。ただ、アメリカでは5回の後のグラウンド整備がないので。そこはちょっと調子が狂いました」

 12年ぶりの日本のマウンド。未知の独立リーグで、それでも投げ続けることを選んだ田澤純一。

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 2020年7月31日。息詰まる緊張と注目の中、田澤は2三振を奪う圧巻の投球を見せた。

©HISATO

田澤が独立リーグで過ごした3ヶ月

 元MLBプレイヤーで、ボストン・レッドソックス時代にはワールドシリーズ制覇に貢献した田澤純一が、コロナ禍の影響で日本に帰国した。7月にルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに電撃入団。16試合に登板して2勝0敗、防御率3.94、2HPという成績を残した。

 大した数字ではないと思うかもしれない。しかし数字以上に与えたインパクトは計り知れない。誰も想像しなかった独立リーグでの3ヶ月間、田澤はチームに溶け込み、飾らない素顔を見せてくれた。

「皆『え、あの田澤さんですか?』って感じでした。練習で会った時は『本物や!』って」

 日高太勢投手(19)は田澤とトレーニングを共にして、後に「田澤さんの一番弟子」と呼ばれたが、最初の反応はファンと大差なかった。雲上人だった選手を近寄りがたく感じるのは当然だが、そうは言っていられないのが捕手だ。捕手兼マネージャーの横田宏道(28)は言う。

「捕手と投手のコミュニケーションが上手くいかないと、試合の経過があまり良くなくなってしまう。『テレビの人』という壁を壊さなきゃいけないんで、僕は積極的にいきました」

 2020シーズン、横田は途中出場が多かったが、5年目のベテランらしく、元広島の辻空、元楽天の宮川将、ベネズエラ出身のエドゥアルド・フィゲロアら、150キロ超えセットアッパーや抑え投手とのバッテリーを任されていた。

 それでも田澤の球を受け、圧倒された。

「衝撃でした。いきなり球が出てくるし、回転数が多いというか、凄まじいです。真っすぐとスライダーとフォーク(スプリット)なんですけど、最初真っすぐとスプリットの見分けがつかなかった。ちょっと落ちるくらいで、打者によって動かし方を変えていた。これは参ったなと」

 田澤の方も苦労していた。柔らかいマウンド、ボールの違いにも苦しむ。やがて自分の中である程度ベースが出来ると、チームメイトにも馴染んでいった。ブルペンに行ったり、他の投手に声をかけたり、積極的に教えるようになったと横田は言う。

「選手のLINEで僕をいじり出したのが最初で、それから一気に距離が縮まりましたね。意外といじりキャラです。他の選手のことをめっちゃ見てますし聞いてます。どこに耳あるのってくらい」

 スタジアムアナウンサーの石山加織さんも、試合前、熱心にチームメイトを見てアドバイスする田澤の姿を覚えている。特に言葉の通じない国で頑張るフィゲロア投手のことは、「昔の自分と同じ」と気にかけていたという。

田澤と横田 ©HISATO

田澤から貰った大きなプレゼント

 当初はメジャー時代からの登場曲「もぐらの唄」を流してマウンドに上がっていたが、その後変えた。選曲もスタッフに任せたといい、こだわりのない一面も見せていた。

 配球については捕手に一任されていて、横田はあれこれ言われたことはない。

「1回打たれた後、『もう少しカーブ使ってもいいよ』って言われたくらいで。あとは『ちょっと高かった』『悪い悪い』で終わり。で、次普通にバン!と投げるから。切り替えは滅茶苦茶早いです。そういうところを若手は見習ってほしいですね」

 やがて、田澤とマンツーマンで練習をする日高の姿が見られるようになった。田澤のパーソナルトレーナーである井脇毅氏も、他の選手によくアドバイスをしてくれていたという。

「ここが弱いからこのメニューやってみなさい、というような感じで、一人ひとりに合わせて言ってくれました」(日高)

 田澤とキャッチボールをしていた日高は、「手が痛くてもう無理って感じでした」と言う。ついにはグラブの紐が切れてしまった。その後、田澤にグラブをプレゼントされ、今も大事にそれを使っている。日高の今年の背番号は田澤から受け継いだ「36」だ。

 一方の横田も大きなプレゼントをもらった。

 田澤はブルペンで雑談をすることも多かったが、ある日「オルティズはこう打つ」とバッティングの話をした。1週間ほどたって、横田は田澤にバットをもらった。試し打ちすらせず、その日の打席で初めて持って打ったらホームラン。そしてその日最後の打席、横田は何とサヨナラヒットまで放ったのだ。手荒い祝福を受ける横田を、田澤もベンチから面白そうに見守っていた。