また北海道では、建設中だった道内美瑛町の「忠別ダム」の工事を巡り、かねてより6億円の裏金が浮上していた。ダム工事で大成建設の下請けに入った水谷建設から、土地買収に絡んで北海道旭川開発建設部の調査官を通じて地元業者に裏金が支払われたという。もとは北海道警察捜査二課が捜査していた案件だったが、うやむやになっていた。東京地検特捜部がそれを改めて仕切りなおししようとしたのである。
さらに九州ルートでは、水谷建設と福岡県選出の自民党参議院議員である松山政司との関係が注目された。04年、水谷が松山のファミリー企業「松山建設」に対し、1億5千万円を融通していた一件が取り沙汰される。水谷功は政界における松山のボスで同じ福岡選出の実力者、古賀誠の元秘書と親しかった。東京・向島の料亭で何度も席をともにしていたことから、水谷建設の福岡政界ルートとしてクローズアップされたものだ。
そして水谷の地元三重ルートでは知事だった北川正恭の秘書と水谷との腐れ縁、北朝鮮ルートでは砂利利権が浮かぶ。かつて自民党時代の鈴木宗男について「疑惑の総合商社」と指摘したのは辻元清美だったが、水谷建設の水谷功は鈴木よりもっと守備範囲が広い。まさに水谷のまわりは、政官界における利権が渦巻いていたといえる。
アルジェリアへ避難した理由
経理担当の側近が逮捕され、みずからの喉元に捜査の切っ先が迫るなか、水谷功本人はいったん国外に避難した。行く先は、アフリカのアルジェリアだ。かつてのフランス領である。
水谷建設は、日本政府が進めるアルジェリアの政府開発援助(ODA)事業に参加していた。表向き水谷の渡航は、工事視察のための海外出張だった。だが、もちろん目的はそれだけではない。
「水谷建設の裏金は、もっぱら海外で捻出されてきました。特捜部の捜査が迫るなか、その対策を練る必要に迫られたのではないでしょうか」
当時、水谷功の相談に乗っていた水谷建設の関係者は、その行動についてこう注釈を付ける。すでに当人がみずからの逮捕を予見していたのかもしれない。06年7月1日に日本を離れたあと、しばらく帰国しなかった。当初、フランス経由で帰国する予定だった成田便をキャンセルし、経由地のパリで捜査の様子をうかがっていたという。その間、水谷建設の経理担当常務をはじめ、側近たちが東京地検に次々と逮捕された。一方で当の水谷功は帰国前日にあたる7月7日夜、パリで朝日新聞の電話インタビューに答えている。
〈何で私ばかりをいじめるのかなあ。(捜査に)協力してほしいと言ってくれれば応じるのに、私をたたこうとしている〉(06年7月13日付朝日新聞朝刊)