一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)

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汚職事件――電力事業で急成長した水谷建設

 三重県北部に位置する桑名宿は江戸時代、東海道42番目の宿場として栄えた。愛知県と岐阜県に隣接し、伊勢の国の玄関口と呼ばれる。徳川家康の忠臣、本多忠勝が築城した桑名城が名高い。濃尾平野にめぐみをもたらす木曾川、長良川、揖斐川の木曾三川の河口にあたり、大ぶりな蛤がとれる。

 桑名は、埼玉県川口市の鋳物工場で働く在日朝鮮人の青春群像を描いた吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』と並ぶ鋳物の街でもある。桑名鋳物の起こりは、藩主の本多忠勝が鉄砲製造のために奨励した産業とされる。とりわけ終戦後は、ミシンや水道器具などの機械鋳物を溶かすコークス炉から出る煙突の煙が街の空を覆った。鋳物工場のコークス炉が電気炉に代わり、煙突そのものが姿を消したため、かつての面影がすっかり薄れているが、鋳物づくりは今も桑名の主要産業の一つである。近年は、自動車の部品や道路のマンホール、照明器具などに桑名の鋳物が使われている。

 そんな桑名のメイン通りを歩いてみた。しかし、かつての繁栄が嘘のように閑散としている。市が観光客向けに江戸風情を意識したモニュメントを設置していて、やたらと目にとまるが、却ってそれが寂しく感じた。

 水谷建設の本社は、そんな桑名駅前の中心街から車を10分ほど走らせた蠣塚新田にあった。周囲は古ぼけた民家や畑ばかりで、オフィスビルなどはいっさい見当たらない。そんな片田舎の村の高台に、場違いな社屋がそびえたつ。屋上に建てられた「水谷建設」の看板が、桑名の街を見下ろしている。2010年4月、その水谷建設の本社ビルを訪ねた。

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 受付がある一階ロビーフロアーには、大きな写真が飾ってある。創業当時に記念撮影した写真に違いない。ずいぶん古い。男女入り混じった大勢の社員たちが、土木工事用の運搬台車にもたれかかり、それぞれ嬉しそうにカメラに笑いかけている。鉄道の敷設工事現場だろうか。社員たちのうしろには、トロッコレールが延々と伸びている。写真の先頭は、いかにも屈強そうな、いかつい顔をした作業着姿の男だ。他の男性社員たちも、先頭の男と同じように厚いゴム底の地下足袋を履き、ダボシャツに腹巻をしている。女たちはもんぺ姿。文字どおりセピア色の古い時代の写真である。