平成の政商との異名を持ち、さまざまな裏金工作で“政治とカネ”問題の中心にいた水谷功が2020年12月17日に亡くなった。果たして彼は生前、どのようなことを考え、どのように行動していたのだろうか。
ここでは、男の実像を追い続けたノンフィクションライター森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』を引用し、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)
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小沢裏献金の出どころ
ダムや発電所をはじめとする大型工事の受注競争の裏で、何が起きているのか。一般には、足を踏み入れたことのない、知られざる世界に相違ない。建設業界における裏金づくりそれ自体、ほとんど実態が知られていないだろう。
多くの場合、元請け業者が下請け業者を使って裏金を捻出する。単純なやり方としては、下請けに対する工事の発注額を水増しし、プラスした分をリベートや裏献金としてキックバックさせる。水谷建設でいえば、福島第二原発で請け負った60億円の残土処理事業のケースがまさにそれだ。
また、前述したように、巧妙なやり方として、パワーショベルやブルドーザーなどの中古重機取引を駆使した裏金づくりもある。どちらも厳密にいえば脱税だ。だが、とくに重機取引は、売買を外国でおこなうため、国税当局も追及しづらい。その売買ルートづくりを担ってきたのが、バイヤーの貿易商である。彼らは重機ブローカーとも呼ばれる。
小沢一郎事務所に対する裏献金の疑いを強めた東京地検特捜部は、この重機ブローカーの存在を見逃さなかった。そうして水谷建設に出入りしていた重機メーカーやブローカーたちを片っぱしから呼び出し、事情聴取を繰り返した。
「特捜部の捜査対象のなかで浮かびあがった一人が、『大阪トレーディング』の佐川(弘良)という業者でした。ちょうど04年から06年にかけ、ここが水谷と取引を始めています。それで、佐川が水谷の裏金づくりを担ったのではないか、と疑われたのです。かかわった裏金の額は4億円といわれます」
キーマンとなった重機ブローカーとの出会い
水谷功と佐川が取引を始める際、そこに立ち会った側近の一人がこう回想した。両者の初対面の場となったのが、麻布十番の高級ふぐ料理店「小やなぎ」だ。水谷功の気に入りの店で、水谷建設社長の川村もよくここを使った。前述したように、川村が小沢の秘書である大久保を最初に向島の料亭「花仙」のコンパニオンに引き合わせた場所でもある。
特捜部の小沢事務所に対する調べは、水谷功の脱税事件のときの捜査が、基礎データになっている。重機売買の大阪トレーディングも、かつて国税当局の査察を受けていた。そうして09年8月になり、社長の佐川弘良が改めて東京地検から事情を聞かれるのである。大阪にいる当の佐川本人に取材した。
「たしかに8月初めから東京地検に呼び出されて、話を聞かれましたわ。6、7回ぐらいかな。21日が最後でしたから、集中的にやられました」
と、こう認める。ただし、言質をとられないよう、言葉をにごした。