一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げていたのか。ノンフィクションライター森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』を引用し、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

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札束が乱舞するカジノ付きディナーショー

 02年から05年にかけての水谷功は、ゼネコン業界において特異なポジションを築いたといえる。まさしく飛ぶ鳥を落とす勢いに乗っていた。裏金づくりに利用するカジノ賭博は、当人の趣味でもある。取引先の幹部を集めては、カジノツアーを企画した。カジノツアーは、建設工事における元請け業者の接待目的のときもあれば、裏金調達の手段に用いる場合もある。頻繁に訪れていたのが、東アジアのマカオや韓国だ。

 マカオや韓国は飛行機で数時間という近距離だから、遊びやすい。週末の金曜日に現地入りし、カジノで遊んで日曜日に帰国するというパターンが多かった。カジノ賭博では大金が飛び交うが、その前の景気づけとして、しばしば芸能人を呼んでホテルでディナーショーを開いた。そんなディナーショーの模様を録画したDVDも手元にある。

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 たとえば02年11月9日、韓国・済州島のKALホテルで開かれたディナーショーのワンシーンが収められている動画もその一つである。パーティの主催者は、「KALカジノ 済州観光株式会社」だ。食事のあと、午後7時半からショーが始まった。ホテル2階の大宴会場のステージに登場するメインゲストが、北原ミレイである。往年のヒット曲「石狩挽歌」を熱唱し、客席がひときわ盛りあがる。

 北原が手招きすると、水谷功が照れたように頭をかきながら立ちあがった。ステージにあがり、北原からサイン入りの色紙を受け取る。すると、水谷が客席の一人を指名し、男の客をステージに立たせた。そうして二人そろってマイクを握り締める。

「きたぁ~の漁場はよぉ~」

 水谷功が大声を張りあげる。86年に北島三郎が歌った「北の漁場」は、その年のレコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲で、彼の十八番である。水谷はアルコールを一滴も口にしない。その割に、まるで酔っぱらっているかのように顔を赤らめ、上機嫌だ。

大勢の芸能人が呼ばれたディナーショー

 これ以降、水谷率いる韓国やマカオのカジノツアーは、毎年のように企画された。もちろん博打の前のディナーショーもセットだ。そこには、大勢の芸能人が呼ばれ、ステージを飾っている。ときに水谷功は長山洋子とツーショット写真に収まり、千昌夫のディナーショーには、民主党副代表の石井一まで参加した。ちなみに石井事務所に聞くと、

「水谷氏はその場で友人に紹介された。会ったのは、あれが最初で最後」

 としぶしぶ答える。今となっては思い出したくないに違いない。

 一方、タレントたちにとってのディナーショーは、かっこうの稼ぎどころでもある。ある芸能プロダクションの幹部が、そのあたりの事情を説明してくれた。

「カジノとディナーショーのセットツアーの場合、タレントのギャラは通常の倍以上に跳ねあがります。ふだん200万円程度のディナーショーのギャラが、500万円とか600万円になる。ショーの主催者側がカジノを運営しているので、タレントへギャラを余分に払っても、客からカジノで取り返せる。だから、平気なんです。破格のギャラだから、所属事務所も喜んでタレントを出しますね」