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家族ぐるみの“愛人契約”

 02年11月以来、毎年開かれてきたきらびやかなカジノツアー・ディナーショー。そこには、有名芸能人たちに交じり、毎回ステージに立つ無名の歌手がいた。テレビなどではほとんど見たこともないような無名のタレントだ。その鹿谷あけみ(仮名)は、茨城県袋田の滝の麓にある大子町に生まれた。幼いころから歌がうまく、歌手を目指して東京にのぼった。だが、しょせん芸能界に何のつてもない片田舎の娘に過ぎない。なかなかデビューのきっかけがつかめない。やむなく、品川区の下町、戸越銀座商店街にある場末のスナックで働いていた。そんなあけみを見染めたのは、水谷本人ではなく、側近たちだ。

 あけみの実家は茨城県内で洋服の縫製工場を経営していたが、経営に失敗して金銭的にかなり苦しかった。上京したあけみは、親から資金的なバックアップをしてもらうどころか、スナックで働きながらむしろ家計を助けようとしていた。それでも、歌手になる夢は捨てていなかったらしい。

 そんな折、水谷功と親しい芸能事務所の社長が、たまたま運転手と戸越銀座のスナックに顔を出した。それが水谷建設の関係者たちと知り合うきっかけだった。彼女にとっては千載一遇のチャンスでもある。

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「歌手になりたい」

 あけみは、芸能事務所の社長に訴えた。しかし、はっきりいえば、さほど美人でもなく、取り立てて特徴のない娘だ。どこかの芸能事務所が引き受けるには、パトロンが必要である。CDの売上に協力してくれるような金主がいなければ、デビューなどできない。鹿谷あけみの歌手活動をマネージメントしてきた芸能プロデューサーが、水谷功との不思議な縁の糸を説く。

「そこで、水谷建設の取引先の社長にあけみを紹介したのです。社長はすぐに彼女のことを気に入り、月々20万円のマンションの家賃と生活費の面倒をみるようになりました」

 取引先の社長とは、水谷功と30年来の付き合いのある建設会社の経営者、織田光昭(仮名)だ。水谷建設の下請け業者であり、カジノツアーはもちろん裏金の運び役まで担ってきた水谷功の腹心中の腹心の一人である。

 実は鹿谷あけみは、芸能事務所社長の運転手の彼女だった。先のプロデューサーが続ける。

「スナックで働いていたとき、あけみはすでに28歳でした。新人歌手としては、デビューがかなり遅めですけど、演歌ならまだ間に合う。ただし、歌手になるためには、綺麗ごとでは済みません。だから、私も彼女にきっぱり言い含めました。『一人当たり2500円程度で飲めるような下町のスナック客を相手にするわけではないんです。ステップアップするつもりなら、よく考えなさい。本気で歌手になるつもりだったら、今の彼氏とは別れなきゃね』と。彼女もここが勝負どころだと思ったのでしょう。彼氏と別れ、ずいぶん(取引先の)織田社長に尽くしてくれました。織田社長も、彼女にすっかりほれ込んでいた。それなら、とデビューさせることにしたのです」