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水谷功のお気に入りだった歌手

 そんな水谷関係のディナーショー付きカジノツアーで、最もお呼びのかかったのが、松原のぶえだ。二人の初対面は、03年夏に済州島のハイアットリージェンシーで企画されたディナーショーだった。もう一つのDVDには、そのときのステージシーンもある。

「水谷会長から初めて呼んでいただき緊張していましたけど、とてもやさしくしていただいて。昨日、水谷会長と初めてお会いしました。そのときに焼肉をご一緒させていただいたんですが、のぶえちゃんがかわいそうだから呼ぼう、となったんだそうです」

 このころ松原のぶえは不遇だった。79年のデビュー曲「おんなの出船」で日本レコード大賞の新人賞を受賞して以来、実力派演歌歌手として順風満帆の歌手生活に見えたが、03年に元マネージャーの夫と離婚したころからタレント生活が暗転する。借金問題が明るみに出たうえ、持病の腎臓病に苦しんだ。水谷功との出会いは、松原のそんなピンチのころだった。

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 済州島のステージでは、彼女が強引に水谷をステージに引っ張りあげ、仲睦まじく「ふたりの大阪」をデュエットした。間奏の合間に、水谷がマイクを手に声をあげる。

「僕が、あと15年若けりゃあなぁ」

 すかさず彼女も、相槌を打つ。

「ホント私も、早めに会長とめぐりあってたら、よかったな、とそう思いますね」

 いかにも、取ってつけたようなやりとりだが、当人同士は非常に楽しそうだ。

「もう、いつ死んでもええなぁ」

「いえいえ、末永くお付き合いくださいませ」

 デュエットの最中、客席からヤジが飛んだ。

「会長、のぶえちゃんの借金、返してあげてぇな」

 水谷が歌そっちのけで、返事する。

「はいよ、任せといてぇ」

 デュエットが終わっても二人はそのままステージに居残り、宴はますます盛りあがる。

「本当にね、素敵なご縁を頂戴できて幸せです」

 松原のぶえは、みずからの借金苦をネタにして笑いをとり、水谷のほうを向く。

「今日のカジノでいっぱい勝ちますので、任しといてください、そんなの」

「会長、バンバン稼がれることを期待してま~す」

 ショーのエンディングは、決まって水谷お気に入りのヒット曲「演歌みち」だ。

日本国内では考えられないような錦衣玉食の宴

 松原のぶえは、そこから04年、05年と立て続けに済州島でディナーショーを開いた。その都度、ゼネコン幹部たちが集い、日本国内では考えられないような錦衣玉食の宴を繰り広げてきた。ステージには常にチップやお捻りが飛び交う。DVDに収められたディナーショーには、90年前後のバブル絶頂期にも見られなかったようなシーンが満載だ。ステージ上で松原が1万円札の束を扇子のように広げたまま手にしてひと言。

©iStock.com

「やっぱり、こちらに目がくらみます」

 別の日のショーでは、松原が韓国の紙幣、ウォン札を首に巻いて「演歌みち」を歌っているかと思えば、水谷建設のマーク入りのチマチョゴリ姿で登場し、封筒に入ったチップをライトに透かせて見てニッコリする。

「あっ、たくさん入っているようです。すみません、遠慮なくいただきます。でも、まだ締め切ったわけではありません。カジノで使う前に、どうぞお持ちいただければと思います」

 カジノツアーには、元請けのゼネコンだけでなく、工事を発注する側の電力関係者なども参加していたという。重機土木専門の水谷建設は、いわばその下請け業者に過ぎない。だが、贅沢な宴の主役は常に水谷功だった。