一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。
彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げていたのか。ノンフィクションライター森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』を引用し、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)
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塀の中の事情聴取
「多額の脱税による利得が会社に留保されており、刑事責任は重大」
2007年4月13日、東京地裁が水谷建設の水谷功に判決を下した。裁判所が認定した脱税額は、実に11億を超える。
東京地裁裁判長の朝山芳史は、法人税法違反に問われた水谷に懲役2年(求刑懲役3年)の実刑判決を言い渡した。その際の判決では、04年8月期までの2年間に水谷建設の所得318億1698万円を隠し、法人税約11億4690万円を不正に免れたとしている。この脱税が、そこからさらに福島県知事の汚職事件に発展したのは周知のとおりだ。
一連の事件捜査の過程で、東京地検は水谷建設から膨大な内部資料を押収した。裏金や受注工作の実態についてはいまだ表沙汰になっていないが、特捜部はそのかなりの部分を把握している。そうして、特捜部は改めて水谷建設の裏金を洗い直そうとした。それが、脱税事件から2年後の09年だ。夏休み返上で唐突にはじまった重機取引の関係者に対する事情聴取である。
そして9月以降、東京地検特捜部による水谷功本人の取調べが開始された。そこで水谷は、問題の小沢事務所への裏献金について白状する。
「会長さんがなぜ今になって小沢さんの裏献金を白状したのか、それはわかりません。でも、検察は徹底的に調べあげている、と獄中から手紙が届きました。たしか6回か、7回、事情聴取を受けたと書いていました」
舌を巻いた特捜部の捜査
前出の水谷建設関係者は、そう打ち明ける。
水谷功がなぜ裏献金を自白したのか、そこについては不明だが、塀のなかで地検の取調べを受けた水谷が、特捜部の捜査に舌を巻いたのは、たしかのようだ。東京・溜池交差点そばにある全日空ホテルにおける一回目の5000万円授受も、そうだという。実は本人でさえ記憶になかったが、当日、水谷は全日空ホテルに現れている。
「石川知裕という人物を知っていますね。あなたたちが全日空ホテルでカネを渡した小沢一郎の秘書だけど……」
そう聞かれた水谷は目を丸くした。実際、水谷自身、水谷建設の社長だった川村尚を小沢事務所の担当者に指名し、秘書へ裏金を渡す指示をしていた。しかし、自分自身にはホテルに行った覚えがない。石川との面識についても、記憶になかった。
「いや、石川さんなんか知りません。ホテルにも行ってないですけど」
水谷は答える。だが、検事は自信満々の様子だ。
「それなら、一度もホテルに行ったことないのですか」
そうたたみかける。
「それは、もちろんホテルに行ったことはあります。なんべんかは。しかし、小沢さんの秘書さんとそこで会ったことはありません」
すると、検事の顔色が変わった。おもむろに紙片を取りだし、それをテーブルに放り投げた。
「本当にそうなの? おかしいな。これを見てみろよ……」
紙片は全日空ホテルのロビーラウンジの領収書だった。領収書は3枚あった。つまり、この時期に少なくとも三度は、ホテルラウンジでコーヒーやジュースなどを飲んだことになる。その領収書のうちの1枚の日付が、二度の5000万円の受け渡し日のうちの一日と重なっていたという。そこには、3人分の飲み物が印字されていた。