疑惑に目をつぶってもらう
事実、獄中のインタビュー報道から一転、仮釈放されるまでの半年間、水谷はマスメディアとの接触を絶つようになる。共同通信や赤旗の報道後、他社のインタビュー依頼が殺到したが、いずれも断られている。
小沢サイドは仮釈放欲しさによる水谷の裏金供述説を懸命に流したが、結果はそうはならなかった。むしろ09年内だと予想されていた仮釈放は、3カ月も先の翌年3月にずれ込んだ。
この間、私自身も自著を差し入れ、書簡で面会を希望した。水谷の長女から面会の希望を伝えてもらい、好感触を得ていた。津の刑務所長宛に特別面会申請までした。が、結局、服役中に本人と会うことはできなかった。表向き、受刑者本人が面会を拒否しているという理由にはなっていたが、むろんそうではない。それは水谷の意志ではなかった。
裏金供述から仮釈放されるまでの半年近く、特捜部の検事は水谷の親族が面会するたび、親族に電話で同行者がいたかどうかを尋ねていた。言うまでもなく、新聞記者やジャーナリストによる接触をチェックするためだ。そこまでしたのは、捜査上の情報が漏れないようにするために違いない。
まさしく、小沢一郎をはじめ事務所の秘書たちの捜査が大詰めを迎えていた時期のことである。金庫番の大久保隆規を再逮捕し、現役代議士の石川知裕の逮捕にまで踏み切る。いよいよ本丸の小沢一郎に切り込めるかどうか、検察全体として判断しなければならなかった。そんな張りつめた時期だった。検察としては、キーマンを社会に放つわけにはいかない。そうして水谷本人の出所がずれ込んだと見たほうが正解だろう。
ではなぜ、水谷功が小沢一郎への裏献金を供述したのか。やはり疑問はそこへ立ち戻る。ひょっとすると、「調べあげられていて観念した」という本人の話は、本音かもしれない。あるいは岩手県のダム建設に絡んだ裏献金を証言する代わり、別の疑惑に目をつぶってもらう。検察とのそんな取引があったような気もしてならない。そもそも捜査当局が追及してきた水谷マネーは1億円どころではないからだ。
“ザル法”と呼ばれてきた政治資金規正法
この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。
2007年12月28日に改正された政治資金規正法第一章総則の第一条にある法の目的には、こう記されている。投票で選ばれる政治家の活動資金は、国民の監視下に置かれ、公明正大でなければならないという趣旨だ。第二条の「基本理念」にはこうも書かれている。
この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。