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土方の元締め

「ああ、先頭の人が創業者の水谷一三さんです。もともと桑名は木曾三川の河口にあたるだけあって、災害との闘いを繰り返してきました。川の土手が決壊し、田畑が台無しになる。その災害に備えるため、あるいは堤防づくりのために土方が活躍してきた。水谷一三さんは、そんな土方の人夫出しをしてきた元締めだった。そうして水谷建設は、昭和34(1959)年の伊勢湾台風のときに大儲けした。会社の成長はそこからです」

 古参の元役員がそう説明してくれた。

 水谷建設はその前身を「水谷建材店」という。「満州国」建国から間もない1933(昭和8)年1月、水谷一三が創業した。といっても、個人営業の域を出ず、いわば土木工事における飯場の仕切りや建材の卸売のような建材店に過ぎない。そこから伊勢湾台風に見舞われた翌年の60年12月、一三が会社組織に改めた。

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 一三には四人の息子と四人の娘がいた。八人きょうだいだ。男兄弟は、長男の正を筆頭に、次男の勤、三男の紀夫、そして四男の功という順である。のちに政商と呼ばれる水谷功は、水谷家の末弟だった。

兄弟の序列

 水谷功には、姉と妹がいる。功のあとに妹が生まれているので、功自身は末っ子ではないが、男子のなかではいちばん末だ。1945年生まれの末弟功と長兄の正とは、親子ほど年齢が離れていた。田舎の家にありがちな兄弟の序列はいかんともしがたい。

「父親の一三さんはまったく昔ながらの土建屋タイプでした。儲けた金をいつも米櫃に隠していて、米櫃に手を突っ込むと、いつも現金の塊が隠してあったんだって。金儲けは得意なんですが、会社組織として経理をしっかりやるタイプではない。功会長本人の商売のやり方は、お父さんのDNAが影響していると話しています。そんなだから脱税に問われたのでしょうけどね」

 水谷家の兄弟を知る40年来の取引業者が振り返った。

「一三さんは土建屋に教育なんかいらん、というのが持論の人だったそうです。だから、ご長男の正さんだけは、高校を卒業させているらしいんだけど、その下の三人はみな中卒なんです。昔といっても、末弟の会長さんはまだ60代半ばですからね。しかも家に金がないわけではありません。いまどきめずらしい父親だったと思います。会長本人が言うように、やっぱりいちばん父親に似ているんじゃないですか。人間づき合いや仕事の取り方が、泥臭い」

 昔気質の一三が跡取りとして育ててきたのは、四男の功ではなく長男の正だ。一三は、早くから4人の息子たちを水谷建材店で働かせた。高校に進学させ、あと継ぎの正だけは別格である。一三の生前から専務取締役として会社の経営に携わり、76(昭和51)年12月に一三が癌で他界すると、社長に就任する。翌77年12月、会社の称号を改め、現在の水谷建設の基礎をつくった人物だ。